エッセイスト菊池木乃実のブログです。環境活動家の夫、ポール・コールマンと共に南米チリのパタゴニア地方に在住。ホリスティックで持続可能なライフスタイル実践中


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<   2007年 02月 ( 13 )   > この月の画像一覧

雨が降るように祈ろう

10月13日(金)晴れ

朝、ビーツのスープと全粒粉のパン。ビーツは、ポールの大好きな野菜。日本では手に入らない。一度、沖縄で缶詰のビーツを買ったら、砂糖で甘く味付けしてあったので、がっかりしていた。ツツラのベジタリアンレストランで、「デトックスジュース」(解毒作用のあるジュース)を飲んだとき、ビーツ、セロリ、パセリ、ニンジンなどが入っていた。ビーツは身体の中の毒を外へ出してくれるらしい。

ところで昨夜は、うっかりリビングルームでサソリを踏んでしまった。堅いものを踏んだ気がして足を上げたら、サソリだったのだ!靴を履いていず、靴下だけだったので、刺されなかったのは幸いだった。ポールに外へ出してもらったのだけれど、「どうやら、ちょうど背骨を踏んだらしいよ。普通、サソリは攻撃されたら、尻尾を上げて刺そうとするんだけど、尻尾が上がってなかったからね。背骨でも折ったんじゃないかな」
ふーぅ・・・しかし、どうして私ばかり、サソリを踏んだり、死んだネズミを踏んだりするんだろう。広い家の中で、足を着地させる場所はたくさんあるというのに、私の歩く先になぜ、そんなものばかりがいるのか!!・・・と思っていたら、今朝は、台所でポールがゴキブリを踏みつけた。

「サソリのいるところにはゴキブリはいないので、サソリを殺す前に考えたほうがいい」とガイドブックには、書いてあったけど、うちには、サソリもゴキブリもいるではないか!ゴキブリは、不幸にも、ポールに踏まれて事故死した。

ゴキブリ騒動が収まると、今度は犬が庭にやってきた。
「はて?なぜ、犬が??」と思って庭へ出てみると、この間の牛飼いの少年が顔を出した。
「○□△???」突然、何かを言われたが、何のことだかわからない。
「えーっと。ノーコンプレンド(わからない)」と言ってみると、彼は花畑を指差して、
「アニマレス」とにっこり笑ったのだった。
アニマレス??アニマル?動物?ええ?・・・と、花畑のほうを見ると、なんと彼の牛たちが4頭、黙々と草を食んでいるではないか!
もう、この間、だめって言ったのに、何で、わかんないの!・・・と思いつつ、
「ディスクルーペ。ノー アニマレス。アキ ミ カサ。 ミ ハルディン」(ごめんね。動物はだめ。ここは、私の家。私の庭)と、つたないスペイン語で言ってみると、少年はものすごくがっかりした様子で牛の群れを庭の外へ出し、どこかへ移動して行った。
「この間と同じ男の子が、また牛に花を食べさせてたよ。ここは、だめだよって言ったら出て行ったけど」
ポールに言うと、「また?」とがっかりしている。前の花畑は家から見えるのでこうして守れるけれど、後ろの花畑は家から300メートルほど先にあり、とても目が届かない。
「彼、後ろの花畑へ行ったんじゃないよね?」
「どうだろう?そういえば、あっちのほうへ牛を連れて行ったような気もするけど。行ってみる?」
「行ってみよう」
靴を履き、後ろの花畑へと急いだ。すると、私たちが来たときには黄色の花が一面に咲いていたのに、驚いたことに、花畑の6割ぐらいが、地面から20センチぐらいのところで根こそぎ、刈り取られていたのだった。
「ひどいことするなあ」ポールは本当に悲しそうに言った。
よく見てみると、小川から花畑へ入ってこれるように、境界線のフェンスが切られていて、大きな木が1本、斧で切られていた。
「ここも、フェンスを直さないとね」
「残念だね」
「うん。でも、一日中、見張っているわけにもいかないしなあ」
とにかく敷地は、4万坪もあるのだ。前の花畑から後ろの花畑の端までだけでも、ざっと500メートルはある。
「彼らにとって、野の花は、牛の餌なんだよね。もう何百年もそうして生きてきたんだから、花が咲いたら収穫するのが当たり前なのは、よくわかる。でも、僕らがこの土地を借りている間は、できるだけ長く花を咲かせて、楽しみたかったね」
メキシコは、雨期が終わったばかりで、緑は豊かに生い茂り、野の花は満開。昆虫たちは、交尾に忙しい。蝶もトンボもコオロギも、雨期が終わって、冬が始まるまでの短い間に、生命を謳歌しようとしているようだ。
「雨が降るように祈ろう。今年の乾期は、例外的に雨がたくさん降って、刈り取られた花がもう一度、咲くように祈ろう」ポールが天に向かって言った。

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by lifewithmc | 2007-02-24 06:21 | メキシコ・山の暮らし
10月12日(木)曇り

昼からコレクティボでオアハカへ行く。コレクティボとは、乗り合いのタクシーで、村のお店の前に常に1,2台止まっている。どれもエトラ経由オアハカ行きらしい。とうことで、例によって歩いて30分かけて村まで行く。止まっているタクシーの後部座席に乗り込んで、待つこと10分、若い女性が一人、「ブエノスタルデス!」と言って後ろに乗ってくる。さらに、待つこと5分、男性が一人やってきて助手席に乗り、タクシーが発車した。
「なるほど、こうしてみんなで乗っていくのか。後ろに3人、前に1人、4人で満席ってことね」と思っていると、タクシーは途中で止まった。見ると、路肩に手を上げているおばあさんがいた。
「なんだろう?」
タクシーの運転手は車を降りてトランクを開け、おばあさんの荷物を入れている。
「ああ、おばあさんの荷物をどこかへ運んであげるのかな?」と思っていると、なんと、おばあさんは、「ブエノス・タルデス!」と陽気に言って、前の席に乗ってきたのだった。では、助手席に座っていた男性は?というと、彼は運転席と助手席の真ん中にちょこんと座っているのである。これには、驚いた。よく見ると、運転席と助手席の間には、一人辛うじて座れるようにクッションが敷いてあるのだった。

タクシーは、ぎゅうぎゅう詰めでオアハカへ向かった。前に3人座っているので、前方はほとんど見えない。タクシーは10分ほど走ってハイウェイへ出ると、ラジオをつけて陽気なメキシカンミュージックをがんがん流し、猛スピードで走り出した。フロントミラーには、マリア像のロザリオがぶら下がり、ぶんぶん、揺れている。
「そうか。こうしてみんな、ぎゅうぎゅう詰めになって移動するのか」
よく見ると、すれ違うバスも、みんなぎゅうぎゅう詰めだった。運転席と助手席の間にもう一人座るなんて、日本ではとても考えられないけれど、メキシコではそれが当たり前なんだ。そう思うと、なんだか、楽しくなってきた。

ハイウェイを30分から40分ほど走り、2時ごろ、オアハカに着いた。タクシーは、大きなマーケットのある賑やかな街角を右へ折れていく。すると、そこは両側に何十台も同じコレクティボが並んでいて、「エトラ」「サン・ホアン・デル・エスタド」など行き先の書いた看板がずらりと並び、渋滞した車の間をたくさんの人が行き交っていた。
「ここが、ターミナルなんだね。帰りはここから乗ればいいんだ」
確認してコレクティボを降り、ゾカロへ向かった。ゾカロへ向かう通りには、電気屋、楽器屋、金物屋、薬局、銀行、インターネットカフェなどが並んでいた。ちょうど、シティバンクのカードでお金が下ろせる銀行があったので、そこでお金をおろした。

ゾカロはあいかわらず、デモをしている人たちがテントを張って、座り込みをしていた。警察が介入した様子はなく、学園祭のような楽しげな雰囲気は変わっていなかった。広場に面したレストラン「Terranova」でランチを食べた。野菜スープ、エンチラーダ、メキシカンライス、桃のデザート、コーヒーで50ペソ(500円)。久しぶりの外食は、とても美味しかった。

コレクティボのターミナルへ戻る途中、インターネットカフェに寄って、メールのチェックをしたり、撮影した写真を30枚ぐらいブログにアップした。あっという間に6時になってしまい、急いでマーケットへ向かう。日が落ちたら、村の停留所から先、家まで3キロぐらいの道のりは街灯がないので、真っ暗になってしまう。急いで、スーパーでコーヒー、紅茶、缶詰、牛乳など保存できるものを買い込み、コレクティボに乗った。

ハイウエイを走っていくうちに日が沈み、村についたときには、もうあたりは薄暗かった。家に着くまでなんとか明るいままでいてくれるといいけれど・・・と思ったけれども、10分も歩くと真っ暗になった。上り坂になると、スーパーで買ってきた牛乳や缶詰を入れたリュックが、ずっしりと肩に食い込んでくる。息を切らしながら歩いていると、陽気な音楽をかけたトラックが後ろからやってきた。振り向くと、クリスマスの飾りのように色とりどりのランプをちりばめたトラックが坂を上ってくるところだった。
「ハッピートラックだ」思わず叫んだ。
すると、トラックは私たちを通り過ぎて止まった。
「乗ってく?」英語で運転手の男性が声をかけてくれた。
「イエス!」
運転席から降りてきた男性は、20代ぐらいだった。トラックの荷台はアルミのコンテナのようになっていて、後ろのドアは観音開きだ。彼はドアを開け、「乗って」というような仕草をした。まず、ポールが乗り、私も続いた。中は薄暗く、コンテナだと思ったけれども、屋根はなく、木の板を格子状に渡してあるだけで、なんと中には男の子がひとり寝転がっていた。
「オラ!」挨拶をして、中に座ると、運転手の男性はドアを閉めた。

ドアが閉まり、車が発車した。天井の格子の間から、車をかすめていく木の葉が見える。
「彼、どこで降ろしたいいか、わかってくれたかな」とポールが心配そうに言う。
「リオって言ってたから、大丈夫だよ。リオって川のことでしょ?」
「うん」
「川を渡る手前に分かれ道があるでしょ?きっと、このトラックは左側の道を登って山を越えていくんだと思う。右側の道は小川を越えて、私たちの家の前で行き止まりだもん」
そうは言ったものの、なんだか不安になってきた。本当に彼はわかってくれただろうか?
「カーブを曲がってる。きっと、貯水池のところだね」
「うん、坂を上がりきったら止まるはず」
ところが、トラックはなかなか止まらない。
「どうする?止まらないよ」
「運転手に話しかけられないしなあ」
コンテナは完全にアルミの箱になっていて、声をかけられる隙間などない。
「止まれ!止まれ!ここだ、止まれ!」
ポールが、念じ始めた。
すると、トラックは止まり、運転手が車を降りて、扉を開けてくれたのだった。
「よかった」 ほっとして車を降りる。そこから右へ折れて小川を渡れば、もう200メートルで我が家だった。
「ここで、いい? もっと先まで行く?」
「いやいや、ここで、OK、OK!ありがとう!」
お礼を言うと、ハッピートラックは、色とりどりの明かりをチカチカ点滅させ、陽気な音楽をかけながら、山を越えていったのだった。

「助かったね」
「ありがたいね。ほんと、メキシコの人はいい人だ」
私たちは再び荷物を担ぎ、真っ暗闇な道を歩き始めた。
「道の両側は岩がゴロゴロしてるから、真ん中を歩いて」とポールが先を歩きながら言う。
時々、小さな懐中電灯で前を照らしながら、彼の後ろを歩いていくと、
「明かりを消して!」とポールが叫んだ。
慌てて懐中電灯を消す。すると、目の前にふわりと小さな光の玉が現れた。小さな玉は緑がかった白い光を放ち、私の前や後ろや右や左をふわりふわりと踊るように飛んでいる。ふと、前を見ると、なんと私たちの行く先、ずっとどこまでも、幻想的な光の玉がふわりふわりと道の両側を飛び、足元を照らしてくれているのだった。
「うわー!蛍」
「道を照らしてくれてるよ」
道の両脇に何匹、飛んでいただろう。足元を見ながらゆっくり歩いていくと、何匹か、ずっと私の隣を飛んで、足元を照らしてくれていたのだった。
「ありがとう!ありがとう!」
手を伸ばせば届きそうなくらい近くに蛍が飛んでいる。
「ねえ、なんだか、妖精たちが光のランプを持って、私たちの道案内をしてくれているみたいだね」と言うと、
「うん。きっと、彼らは妖精なんだよ」とポールが言った。
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by lifewithmc | 2007-02-24 06:10 | メキシコ・山の暮らし

台所にサソリ!!

10月11日(水)快晴

昨日、一日かかって、やっとスピーカーを修理したポール。ブースターの回路をつないでいるワイヤーが切れていたのを発見し、「すごい!コンピューターの回路も直せるようになった!」と喜んだのも、つかの間、夜遅く、今度は、外付けのハードドライブが読み込めなくなった。「うわー!データが全部、消えている!!」とポールは、顔面蒼白。ハードドライブには、250GBもの写真、ビデオ、今までの彼の旅の記録が全部、保存されていて、これが唯一のバックアップデータなのだ。「これから書く本のための資料も全部、失ったか!と、二人ともショックでしばらく呆然としていた。しかし、私のパソコンにつなぐと、ハードドライブは復帰。結局、ポールのパソコンがうまくハードドライブを読み込めなかったらしく、再起動すると、元に戻ったのだった。

これを機に、今日は一日中、ハードドライブの中の写真やビデオの整理と、パソコンへのバックアップに追われた。写真やビデオは、「いつかゆっくり時間をとって整理しよう」と思いつつ、手をつけていなかったので、ちょうどいいチャンスだった。いらないデータを捨てて、メモリーの容量も少なくなり、まるで、身の回りの荷物を整理したみたいにすっきりした気分。
「原稿に取り掛かる前に、身辺整理をしたような気分だね。ちょうどよかった」と、一時は、心臓が止まるかと思った惨事も、プラスにとらえれば、ためになる!

しかし、惨事はなぜか続くものだ。二人ともくたくたになり、ポールは先に寝室へ上がって行き、台所を片付けて、私も寝よう、と思ったそのとき、台所のシンクの中に5センチくらいのサソリを発見した。
「うわあー!サソリ、サソリ!」 
慌てて叫んだ。
「ええ?」 ポールがやってきて、シンクを覗き込み、「ホントだ」とフリーズする。
「どうする?」
「どうしよう!」
「何かで掴んで外へ出そう」
「何かで掴んでって、言っても・・・・、あ、いいものがある!!」
私たちは、韓国でもらったステンレスの箸をずっと持ち歩いていた。ポールは箸を使うのが上手。サソリもつかめるに違いない。
「お箸でサソリを掴むなんて、日本の人には考えられないよね」と言いながら、ポールは、なんとか上手にサソリを掴み、バケツに移した。
「お箸でサソリを掴むどころか、家の中にサソリがいること事態、信じられないよ」怖いので、私はかなり離れて、彼の様子をうかがった。
「外へ逃がしてくる」
ポールは、バケツを持って外へ出て行った。
ほっ、一件落着だわ。とその瞬間、今度は、何か柔らかいものを踏んづけた気がして、足を上げた。
「うわーーーーーーーー!!!」
なんと、足の下には、小さなネズミが横たわっているではないか!
「ネズミ、ネズミ!ネズミが死んでるみたい!」
外へ飛び出していって、ポールに訴える。
「何?今度はネズミ?どこ?」
台所へ入ってきたポールはじーっとネズミの様子を伺い、「死んでる」と言って、長い尻尾をつかみ、外へ出て行った。やっぱり、私が踏みつける前に死んでいたらしい。
「サソリにやられたのかね」
「そうかもね。赤ん坊だったもんね」
彼が台所へ戻ってきた。
「しかし、何だって、今日はこんなにいろいろなことがあるのかね」
そう言って、やっと台所の電気を消そうとしたときに、今度は、彼がもう一匹、サソリを発見したのだった。
「うわ!」
ちょうど足を踏み出そうとしたところに、さっきのより小さいサソリがいたのだ。
「なんだって、また!」もう一度、ステンレスのお箸でサソリを掴み、バケツに入れて、外へ出した。
「戻って来るなよ!」と、ポールはサソリに話しかけている。
「君たちは、家賃、払ってないんだからね!」

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by lifewithmc | 2007-02-24 06:05 | メキシコ・山の暮らし
10月10日(火)快晴

朝、すっきり目覚める。ポールは朝食にメロン、私はサラダの残りとミックスフルーツにコーヒー。

音楽を聴こうとして、ポールがスピーカーが壊れていることに気づいた。ショックを受け、「ああ、どうしてなんだ。昨日まで調子よく動いていたのに、いったいどうしたんだ!」とパニックに陥る。世界中、どこに行っても、ピンク・フロイドやビートルズ、ジョン・ドノヴァンなど好きな音楽が聴けるように、CDをパソコンにコピーし、グロリアさんの旦那さんが使っていた音質のいいスピーカーとブースターを借りて、エンジョイしていたというのに!「ああ、どうしよう。誰かに修理してもらうしかないか」ポールはスピーカーを眺めて、呆然としている。「困ったねえ」と呑気に返事をしていると、彼はスピーカーを分解し始めた。
「もしかしたら直せるかもしれない」先ほどのまでのパニックは去って、かなり楽観的な面持ちである。スクリュードライバーがないので、いつも持ち歩いているスイスアーミーナイフセットの爪とぎ用のヤスリと、ペンチを使って器用にネジを外していく。
「やってみないことには、何も学習できないからね」とポールは、半ば楽しそうである。冒険好きな彼にとっては、「未だかつてやったことがない」ことは、「できない」ことなのではなくて、「新しい挑戦」なのである。

彼がスピーカーを着々と分解している間、私は黒豆を煮る。黒豆は3晩、水につけておいたら、なんだか、発酵して異様な匂いを発するようになってしまった。腐ったのかと思ったが、どうやら天然の菌がついていて自然発酵したらしい。豆を洗って鍋に入れ、ひたひたに水を入れ、マーケットで「豆を煮るときに入れるんだよ」と言われたハーブを入れる。ハーブの名前はわからないけれど、ヒバの葉のような匂いがする。

とそのとき、コロン。コロン、コロンと、アルプスの少女ハイジのペーターが連れているヤギのベルのような音がする。「はて?ヤギ?」と思っていると、ポールが外へ飛び出していった。あとをついていくと、家の前の花畑にヤギがいる。いち、に、さん・・・ざっと10匹、むしゃむしゃと花を食べているではないか。「ワン、ワン、ワン!!」ヤギを守る役目の犬が三匹、彼に吠え掛かる。ポールは犬を無視して丘を上がっていく。すると、丘の上の木陰から、やせて背の高い少年が顔を出した。
「ここは、私有地だから、動物を入れてはだめだよ」とポールが言うと、「通りかかっただけだよ。ヤギを連れてあっちへ行く途中だったんだ」というようなことを少年は言う。でも、どうみても、彼は木陰でのんびりしていたし、ヤギたちは腰をすえて食事をしている風だった。
「とにかく、ここは人の家の庭なんだから、だめ」ともう一度言うと、少年はしぶしぶ、ヤギの群れを追い立てて庭から出て行った。
「入り口のワイヤーを直さないといけないなあ」
「誰かに切られたところ?」
「そう。今のままじゃ、誰でも入ってこれるもんね」
ポールは家に戻り、スピーカーの修理。私は、本を読みながら豆を煮る。

くつくつと豆を煮ていると、突然、力強いLIFEの流れが、私の中を流れていくのを感じた。滔滔として力強い大河のようなLIFEが、淡々と私の中を流れていく。LIFEというのは、人生を動かしていく大きな力、流れ、のようなもの。あるいは、人生そのものの流れ、みたいなことだ、と私は思っている。たしか、恩師の加島祥三先生が訳した老子の「タオ」のなかに、LIFEという言葉が出てきて、自分がよく感じる「あれ」は「これ」だ、と直感したことを覚えている。

たぶん、LIFEというのは、「タオ」のことなんだと思う。「タオ」というのは、いろんなものの源になっている力のこと。自分に何の制約も制限も課さず、ただ、無心に、次々に起こる出来事に対処して行動しているときに、ふと、自分自身がすっぽりと流れの中に入っているのに気づいて、至福に浸る瞬間がある。胸のあたりから、生ぬるい、あたたかい、とろりとしたものが流れ出てきて、幸せでしかたがなくなり、思わず笑ってしまうというのだ。これが、何なのか、私には説明できない。いつやってくるのかもわからないし、自分からこの体験を作り出すこともできない。あるとき、ふと、すっぽりと、LIFEの中に入ったことに気づき、「あ」と思うと、あたたかい流れの中にいるのだ。太くて力強くてなめらかであたたかい、天然温泉のようにミネラルがたくさん含まれているLIFE・・・・

豆が柔らかく煮えたので、つぶして、ニンニクのみじん切り、シラントロのみじん切り、海の塩を加え、水気を飛ばしながら、とろ火で煮る。ペースト状になったところで、火から降ろす。
メキシコ料理に欠かせない、フライドビーンズの出来上がり。私流だけれど、美味しいのでOK!
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by lifewithmc | 2007-02-24 05:58 | メキシコ・山の暮らし

ネズミがいる!

10月9日(月)晴れ

朝、ポールがネズミを発見した。リビングの壁にかかっている大きなタペストリーを噛み切って穴を開けているところを見つけ、下からタペストリーの裾を掴んで、上下に大きく振ると、ぴょーんとネズミが飛んで床に着地し、そのまま、台所のほうへ走って逃げたらしい。
「ものすごい大きなネズミだった。マウス(ハツカネズミ)じゃなくて、ラット(ドブネズミ)かもしれない。それとも妊娠してるのかな。妊娠してたら大変だ。どんどん、ネズミが増えるよ!」とポールは興奮している。

「どこから来たんだろう。台所へ逃げたから、排水溝の下から来たのかな」
排水溝の下には少し隙間が開いている。その下に巣があるのかもしれない。ネズミを殺したくはないので、台所へ出てこないように、排水溝の隙間の周りに漂白剤をまいてみた。そそれと、タペストリーの下にも漂白剤をまくことにする。漂白剤の匂いは強烈だし、私たちにとっても有害なので、あまり匂いをかぎたくはないけれど、このまま、ネズミにタペストリーに穴をあけ続けさせるわけにもいかないし、今のところ、それしか方法がなさそうだった。

タペストリーには、15センチX 20センチくらいの長方形の穴と、その半分くらいの穴が開いてしまった。タペストリーの下には、ネズミが食いちぎった糸くずが山盛りになっていた。
「どうして、タペストリーを食いちぎっていたのかな?」
「巣を作っているのかもよ。巣作りのための材料じゃないの?」
「そうかもしれない。きっと、冬支度をしてるんだ」
いろいろと推測をしてみるが、とにかく、家中、ネズミの糞だらけだったところを見ると、かなり長いこと、この家の中に住んでいたようだ。二階の本棚の奥には、トウモロコシや豆などがちらばっていたし、タンスの引き出しの中には、脱脂綿を丸めて玉にしたものがあり、真ん中には、ちょうどネズミが入るくらいのクボミが開いていた。私がそれらをきれいに掃除してしまったので、ネズミは食料とベットを失い、「他に巣を作ろう!」とカーペットを食いちぎり始めたのかもしれない。ともかく、二度と戻ってこないことを祈った。

コーヒーを入れ、全粒粉のパンに、昨日の残りのサラダを挟んでサンドイッチにし、チーズ、オリーブを添えて、テラスで朝ごはんにする。今日も晴れていて気持ちがいい。蝶や鳥が飛んでいく。

朝ごはんのあと、庭を歩く。コオロギ、トンボ、蝶、カミキリムシ、アリなど、いろんな虫に出会う。冷たい風が谷を流れていく。夫は夢中で写真を撮る。敷地の端から端まで往復すると、汗ばんできた。
「もう少し先へ行ってみようか」
敷地の南側の端から、小川に沿って通っている道へ出る。緑の葉が生い茂って、トンネルのようになっている。そこを過ぎると、川幅が広くなり、小さなダムのようになっている。ダムの手前は、ちょうど人が一人、寝そべって入れるくらいのくぼみがあり、そこを清流が流れていた。
「うーん、かなり誘惑されるな」 ポールの額からは汗が流れている。
「入ったら?」
「よし!行水だ!」
あっという間にパンツだけになって、ポールは川へ入っていった。
「うわー!冷たい!でも、気持ちいい!」首まで水につかって叫んでいる。
「一気に身体が清められる気がするよ。これなら、お風呂いらないね」
歩いているときには、滝や泉、小川や海が私たちのお風呂だった。もちろん、冬はそうはいかないけれど、ポールはとにかく、「水を見たら泳ぎたくなる」人なので、突然の行水には慣れている。8月にイギリスを歩いているときも、誰も見ている人もいなかったので、パンツ一丁で川に入って泳いでいたし、9月にバヤドリッドへ行ったときも、セノーテと呼ばれる天然の洞窟泉を見に行き、そこで泳いでもいいとわかるやいなや、泉に入って泳いでいた。
「いやー!!気持ちいい!これはいい!さっぱりした!」
彼はひとしきり泳ぐと気が済んで、河原へ上がり、濡れたままTシャツを着て、ズボンをはいた。このまま、しばらくすれば、乾いてしまうだろう。とにかく、行水にちょうどいい場所が見つかって、すこぶる嬉しそうだった。

花畑を通って、家へ戻る。花畑は、白、赤、黄色、紫の様々な色の花が咲いている。その上を、オレンジに茶色の縞模様、黒に黄色の縞模様などの蝶や、大小、様々な蜜蜂が飛んでいく。空を見上げると、小さな鳥がキューキューと鳴きながら飛んでいく。そのはるか上には、ノスリが大きな羽を広げて、悠々と飛行している。この美しい風景を、胸いっぱいに吸い込んで、色とりどりの花や蝶で、身体をいっぱいにしたい気持ちになる。吸い込んで、吸い込んで、吸い込んで、周りのもの、すべてを吸い込んで、美しいものでからだをいっぱいにして、まわりに溶けてしまいたい気持ちになる。

夕方、村まで歩いてメールを送りに行く。金曜日にメールをチェックしたとき、韓国の出版社から契約書が届いていたので、内容を確認してサインをして、送り返したのだ。でも、それだけのために、30分かかった。4月に韓国を歩いて木を植える旅をしたことがきっかけで、来年、韓国でもポールの本が出版されることになったのだ。

このことは、私たちにとっても、嬉しい驚きだった。メキシコに半年、住みたい、とポールが言い出したのは、本の出版の決まるずっと前のことで、正式に「本を出しましょう。ついては、原稿を年内に仕上げていただきたいのですが」というメールが来たのが、メキシコに来るちょうど2日前だった。「メキシコに住む本当の理由は、あとからわかるんだろうとは思っていたけれど、これだったんだね」と、二人で納得したのだった。

さて、村から帰ってきて、夕食にした。夕食は、レタス、ピーマン、ニンジン、タマネギ、キュウリ、トマト、アボガド、オリーブのサラダ。ドレッシングは、オリーブオイル、海の塩、庭から取ってきたライム。それに、全粒粉のパン。

夜は、「ヨギの哲学」を読んだ。
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by lifewithmc | 2007-02-24 05:57 | メキシコ・山の暮らし

静かな一日

10月8日(日)晴れ

朝からポールはスープを煮込む。ビーツ、ニンジン、タマネギ、サボテン、ジャガイモなど、昨日買った野菜にベイリーフ、ニンニクを加え、最後に堅くなったトルティヤを入れると、とろみがついた。私は、バナナ、グァバを小さく切り、蜂蜜、ミントのみじん切りを入れてフルーツサラダを作る。ランチは、簡単にスープとフルーツサラダ。

青空が気持ちよく、太陽の光がまぶしい。天気がいいので、午後、洗濯をする。洗濯機はないので、バスルームにある洗面台に小さなバケツを置いて、お湯をいれ、オーガニックの石鹸を溶かして、1枚ずつ手洗い。旅に出ているときは、ホテルに泊まるチャンスがあれば、洗面台で手洗い、という生活なので、手洗い洗濯は慣れている。ポーチにちょうどいい具合にロープが左右に渡してあり、ハンモックが下がっているので、そのロープを洗濯用に使うことにする。Tシャツ、ズボン、シャツなどをハンガーにかけてロープにかければ、おしまい。空気が乾燥しているので、すぐ乾く。

「THE NORTH FACE 」のシャツやズボンは、「汚れがつきにくい」「汚れが落ちやすい」「乾きやすい」「皴になりにくい」「何度、洗っても丈夫で長持ち」など、洋服を全部、手洗いしなければいけない私たちにとっては最高。着替え用の洋服も、そんなにたくさん持ち歩くわけにもいかないので、大体、シャツ、ズボンともに3枚、靴下3セットを洗濯しながら、取り替えるという具合なので、洗濯の頻度も高くなる。特に、1年半、着続け、洗い続けているシャツのボタンが、1つもほころびないことに感動した。ありがとう、THE NORTH FACE !!

夕方、庭を散歩する。初めて、敷地の端から端まで歩いてみた。裏の花畑にも黄色や赤、白い花が咲き乱れている。2つある山は「いつか登ってみよう」ということで、今回は平らな場所だけを歩いた。歩くと、あちこちから、コオロギが飛び出してくる。緑、黒、赤の3色のコオロギで、よく見ると一匹ずつ配色が微妙に違う。オレンジ色をした鮮やかなモナック・バタフライ、赤と黄色のアゲハチョウのような蝶、黄色のモンシロチョウに似た蝶などが飛んでいる。ザクロの実が少しずつ赤くなり始め、ライムの実もなり始めた。あちこち目をこらしてみると、見たこともない鮮やかな色の昆虫たちがあちこちにいる。ポールはブログに載せるために、夢中で写真を撮っていた。

夜、ポールがケサディアを作る。ケサディアは、チーズを挟んで焼いたトルティアのことで、油を引かないフライパンにトルティアを載せ、そこに細かく裂いたチーズとタマネギのみじん切り、シラントロ(コリアンダー)のみじん切りを載せて、トルティアを二つ折りにしする。表面がカリカリになるまでフライパンで焼いて、ヴェルデ・ソース(青いトマト、青い唐辛子、塩、ライムなどを混ぜて作ったソース。私たちは瓶詰めをスーパーで買ったのだけれど、このソースは辛くなくて、美味しかった)をつけて食べる。中のチーズに塩味が利いていて、シラントロの香りと混じって、ものすごく美味しかった。シラントロは、メキシコ料理には欠かせない。メキシコに来てから、毎日、シラントロを食べている。

夕食の後、本を読む。ここ1年ほど、本をゆっくり読むチャンスもなかったので、嬉しい。グロリアさんの本棚から、「ヨギの哲学」という本を選んで読む。1904年に書かれた本なのに、今、いろんな人が言っている精神世界の哲学と同じことが書いてあるので、驚く。「というより、真実は常に変わらないということだよ」とポールに言われて納得する。なるほど。

「星がきれいだよ」という夫の声に、外へ出ると、空は満天の星空。天の川もくっきり見える。まるで空に隙間がないくらい星が見える。こんなにたくさんの星があるなんて、知らなかった。こんなにたくさんの星を見たのは、生まれて初めてだ。月も輝いている。森が風に揺れて踊っている。小川のせせらぎが聞こえる。しあわせだ。ああ、生きていて、よかった。

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by lifewithmc | 2007-02-24 05:51 | メキシコ・山の暮らし

エトラのマーケット

10月7日(土)晴れ

「ハロー!」という声に飛び起きた。時計を見ると、まだ朝の8時だ。テラスへ走っていって下を見てみると、グロリアさんが手を振っていた。
「おはよう!」「おはよう!ちょっと待ってて」
急いで着替えて、鍵を開ける。玄関、鉄格子、ポーチへ出てもうひとつ鉄格子と3つ開けてようやくグロリアさんを招きいれた。

「明日、来るつもりだったんだけど、もしかしたら明日、ゾカロで警察と市民の衝突が起きるかもしれないっていう噂だから、今日、来たの」どうやら、ゾカロに座り込んでいる市民たちを警察の力で撤去しようという動きらしい。今回の暴動のせいで観光客も激減し、市民の経済にも影響が出てきているので、武力行使ということか。
「デモしている人の気持ちもわかるけど、市の中心地に続く道路を彼らが全部封鎖してしまったから、車で市内に行けなくなって不便なのよ。彼らの要求通り、知事が辞職すれば丸く収まるんだけど、知事はまったく辞職する意志はないし、国がなんとかしてくれるかっていうと、そうでもないの。今の大統領は1月で任期満了だから、このまま1月まで市民との武力衝突なしに、なんとか任期を終えて、次期大統領に渡しちゃおうというつもりらしいわ」とグロリアさんは、ため息をついた。

「おはよう!」そこへポールがやってきた。「いい天気だね。コーヒーを入れよう」
私たちはキッチンへ移り、コーヒーを飲みながら、「アレハンドロが庭を掃除に来たこと」「牛飼いの少年がやってきて庭を禿山にしてしまったこと」などをグロリアさんに報告した。
「ありがとう!家を守ってくれて。本当に助かるわ。ところで、朝ごはんを食べに行かない?エトラに食堂があるの」「いいね。じゃあ、買い物も済ませてこよう」早速、グロリアさんの車でエトラへ向かった。

エトラの食堂は、マーケットの目の前にあった。日曜日なので、マーケットの外にも、野菜や果物、菓子パン、花、洗面器、鍋などを売る行商人の人たちで賑わっている。食堂に座って、まず、グロリアさんがホットチョコレートを注文してくれた。
「ホットチョコレートと卵が入った甘いパンが、オアハカの定番の朝ごはんなのよ」
すぐに香りのいいホットチョコレートと、直径20センチぐらいの丸いパンが運ばれてきた。パンをちぎると、中が黄色く、柔らかい。それをホットチョコレートにつけて食べるのだった。
「美味しい!」「でしょう?」口の中にチョコレートとシナモンの甘い香りが広がった。
「これが、週に一度の贅沢なの」グロリアさんが言う。彼女は、治療師としてものすごいエネルギーを使うので、自分が燃え尽きてしまわないように、常にスタミナを蓄えるため、食事にとても気を遣っているのだと説明してくれた。コーヒーや紅茶などカフェインの入っているものは、あまり飲まず、ハーブティーや水を飲む。砂糖も取りすぎると疲れるので、なるべく避け、甘くしたいときは、蜂蜜を使う、など。肉は食べず、野菜・果物・穀物中心の食事。ヨガやメディテーション、呼吸法などをして、心身ともにエネルギッシュにしておくのだそうだ。特にマッサージをするときは、患者さんに気を流すので、自分自身を充電しておくことがとても大切なのだと言った。
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「マッサージと言えば、今日は、二人にマッサージをプレゼントしようと思って来たの。どう?」グロリアさんが黒い目をくりくりと回した。
「うわあ!嬉しい!お願いします」「ありがとう。じゃあ、僕も」
そこへ、エンチラーダとフライドビーンズ、トルティーヤ・トスターダが運ばれてきた。朝食を食べて、早速、私たちはマーケットへ向かった。

マーケットでは、この間と同じ店へ行った。そこで野菜を買うと、おじさんがミントの葉をサービスしてくれた。「お茶にすると美味しいんだよ」というようなことを身振り手振りで説明してくれる。「ありがとう」と言って、次の店へ行き、そこでは、蜂蜜とプロポリスを買った。蜂蜜は1リットル入りが50ペソ(500円)、プロポリスはなんと200ミリリットルぐらい入っていて、40ペソ(400円)だった。日本で売っているプロポリスとは、質が違うのかもしれないけど、それにしても安い!!「免疫力を上げる。皮膚のトラブルをなくす。抗生物質の働きがある。潰瘍などに良い」など、いろいろと効能が書いてあり、最後に「これは薬品ではありません」と但し書きがあった。とにかく、身体に良さそうなので、試してみることにした。それと、マーケットの出口で、面白いものを見つけた。サボテンの葉だ。前にどこかのレストランでサボテンの葉のサラダを食べたことがあって、茎わかめのように、ぬるぬるして美味しかったので、買ってみた。

そのあと、グロリアさんが豆を売っている店へ案内してくれた。そこで、レンティル、黒豆、茶豆を買い、スーパーマーケットへ行って、トイレットペーパー、牛乳、モップ、ツナ缶、アジのトマト煮の缶詰などを買い、家に戻った。

家に戻ると、グロリアさんが一人ずつ、全身マッサージをしてくれた。マッサージを受けたのは、10ヶ月ぶり。日本にいたときは、腰痛、腱鞘炎、肩こり、頭痛、過労など、いつも体調不良で、なにか奇跡的に治る治療法はないかと、カイロプラクティックや鍼灸、アロマセラピーのマッサージ、ハーブボールのマッサージ、ヨガ教室など、あらゆるものを試してみた。その中でも、ハーブボールのマッサージは、全身の血行を良くし、解毒作用もあり、そのうえ、肩こり、腰痛、内臓の不調の原因にもなっている背骨の歪みも治してもらえたので、気に入って通っていたのだけれど、それも、今年の1月に中国へと旅立ってからは当然、いけず、4月に帰国してから、再度、イギリスへ旅立つまでの3ヵ月、忙しくてとうとう行けないまま、メキシコまで来てしまった・・・ このぶんだと旅の生活は続きそうなので、なんとか、自分で体調不良を治す方法を考えないといけない。しばらく、本を片手にヨガを毎日していたときは、腰痛も和らいで体調もよかった。ヨガはもう1年ぐらいやっていない。そのせいか、最近、腰痛がひどくて、夜中に痛みで目が覚めるようになってしまった。引き締まっていた身体も、すっかりたるんでしまったし、そろそろ、ヨガを再開しないといけない。一ヶ所にしばらくとどまって、ゆっくりしたかった理由のひとつには、「毎日、ヨガをやりたい」ということもあったのだった。

グロリアさんのマッサージは、とても気持ちよくて、その日の午後は、とてもリラックスして過ごせた。
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by lifewithmc | 2007-02-24 05:44 | メキシコ・山の暮らし

村まで歩いて30分

10月6日(金)曇り

朝、目が覚めると、小川の音が聞こえた。窓の外は少し曇っていて、森が風に揺れている。今日は、かなりひさしぶりにヨガをやりたい気分になり、1時間ほどヨガをしてから朝食にした。朝食は、パパイヤ、グァバ、蜂蜜、ミントの葉を刻んだものを混ぜて一晩冷蔵庫で冷やしたものとミントティー。身体はかなり果物を欲していたようで、パパイヤもグァバもそのまま身体にしみこんでいくようだった。今日は、牛飼いの少年も来ず、午前中は本を読んで過ぎた。

午後は、一番近い店まで歩いて行った。家から小川沿いを南に下り、右に折れて川を渡る。川を渡ったときに、いっせいに黄色や白、紫の蝶が舞い上がって、恍惚とした気持ちになった。道すがら、珍しい花や昆虫を見つけ、ポールは写真を撮りながら歩く。すれ違うトラックの運転手はみな、満面の笑みで手を振り、「ブエノスタルデス!」と挨拶をしてくれる。村のおばあさんや、農家の人たちとも挨拶をしながら歩いていく。しばらく歩くと、汗ばんでくる。村の灌漑用の貯水池を過ぎ、陽気な音楽をいつも流している酪農家の家を過ぎる。通るたびにいつも灰色のロバがつないである小屋を通り過ぎ、「ハロー!ブロ!」」と声をかける。ブロというのは、スペイン語でロバの意味。灰色のブロは、私たちを見て、「イイオーン、イイオーン」と大きな鳴き声で答えてくれた。(それから、毎回、ロバのそばを通ると、どのロバも例外なく、ポールを見るや否や、「イイオーン、イイオーン」と鳴くことに気がついた。彼らは、ポールに挨拶をしているらしい)

メキシコの農村では、ロバが大活躍している。焚き木を運ぶ、荷物を運ぶ、牛の食べさせる草を運ぶ。何でもロバに乗せて、その傍らには、たいてい赤銅色に日に焼けたおじいさんが歩いている。時には、小さな男の子も一緒に歩いている。男の子はおじいさんについていって自然に仕事を学んでいく。おばあさんたちは、たいてい女の子と一緒にいる。女の子はおばあさんにくっついて、女の仕事を学んでいく。

ここでは、男の仕事と女の仕事は、はっきりと分かれているようだ。山へ行ったり、畑で働いたり、放牧したり、力仕事全般は男の仕事。家事・子育て全般、縫い物や刺繍、果物や野菜を売ったりするのは女の仕事。女の人は女の仕事を楽しんでいるし、男の人はプライドを持って男の仕事をしている。カトリック教徒が多いので、離婚できず、家庭内暴力に悩んでいる女性も多いと聞いたけれど、少なくても、私たちが外側から垣間見た限りでは、この村ではそんなことが起きているということは信じられない。

村に一軒だけある手作りトルティアのお店では、10歳ぐらいの女の子が一人前にトルティアを売っているし、オアハカに来る前に立ち寄ったサン・クリストバル・デラス・カサスでは、女の子は4歳ぐらいから刺繍したハンカチなどを観光客に売っていた。子供も家族の一員として立派に働いているし、村の一員として経済にも貢献している。貧しくても母親や父親、おじいさん、おばあさんと一緒にいる子供たちは、とても満ち足りていて、安心しているように見えた。

30分歩いて、村にひとつだけあるインターネットカフェへ入った。インターネットカフェといっても、小さな小屋にコンピューターが4台置いてあるだけのシンプルなもの。オーナーは、ピエールさんという、メキシコ在住25年のアメリカ人だった。
「そのうちサテライトにする予定なんだけど、今はダイヤルアップなんだ」と言うとおり、インターネットはかなりスローで、メッセージをひとつ送るのに30分かかった。
グロリアさんには、私たちの借りている家に、ケーブルテレビを引いて高速インターネットをつないでもらうように頼んであるけれど、どうなることやら・・・
「ケーブルテレビ?あそこまでケーブルが来るのかなあ。電話線も通ってないけど?」
グロリアさんの敷地のすぐ北側に住んでいるピエールさんは、訝しげにそう言った。

ともかく、緊急時以外は、エトラまで行って、ブロードバンドを使おうと決心し、向かい側のお店に立ち寄って、パンを買った。パンは全粒粉で、村のパン屋さんで焼いて毎朝お店に配達される、とピエールさんが説明してくれた。ピエールさんも家に帰るというので、一緒に歩いて帰る。ピエールさんの家は、私たちの家の北側にある。グロリアさんの土地は13ヘクタール、ピエールさんの土地は10ヘクタールあるそうだ。ピエールさんがお茶に誘ってくれたので、家まで遊びに行った。同じ土地に住んでいるチャーリーさんと4人でお茶を飲み、世間話をして帰ってきた。ピエールさんの家からは、アルファルファの畑を通り、家の裏の花畑を通り、500メートルぐらい歩いて帰ってきた。一番近いお隣さんは500メートル先なのだ。

夜、オリーブオイルと海の塩(沖縄から持ってきた)をつけて全粒粉のパン食べたら、これが意外と美味しかった。夕食は、タマネギ、トマト、キュウリ、ニンニク、シアントロ(コリアンダー)のみじん切りに、ライム、オリーブオイル、アンデスの岩塩・ローズソルト(これも日本から持ってきた)を混ぜてサラダを作り、パンと一緒に食べた。ともかく、近くで(と言っても、歩いて30分かかるけれど)1個15ペソ(約15円)と格安で美味しいパンが手に入ることがわかって、ほっとした。
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by lifewithmc | 2007-02-24 05:39 | メキシコ・山の暮らし

牛飼いの少年

10月5日(木)晴れ

コン、コン、コン!!誰かが窓を叩く音で目が覚めた。
「誰か、来た!」慌てて飛び起き、パジャマのまま1階へ降りていく。音のする窓のほうへ近づいていくと、なんと、大きな鳥が嘴で窓を叩いていた。どうやら、反対側の壁にある窓を通って、向こう側へ飛んでいきたかったらしく、窓のガラスを突付いている。鮮やかなマンゴー色の身体をした美しい鳥だった。
「マンゴー色の鳥が窓を叩いてるよ!カメラを持ってきて!!」ポールに向かって叫ぶとすぐに彼が降りてきた。
「うわあ、きれいだ」カメラを構える。すると、鳥はあっという間に、飛び立っていってしまった。
「ふう」ポールがため息をつく。「きれいだったね」「うん」
写真は取れなかったけれども、マンゴー色をした鳥は私たちの記憶にしっかりと残った。

すると、今度は朝食のあと、質素な身なりをした老人が木戸を開けてやってきて、大きなビニール袋を持って、庭の奥に広がる花畑のほうへ消えていった。
「誰か来たよ」「ええ?誰だろう?」
外へ出てみると、日に焼けてしわだらけの老人がニコニコしながらやってきた。
「ブエノス・ディアス」と挨拶をし、握手をすると、「グロリアに頼まれて、庭の掃除をしているんだよ」と老人は言った。そういえば、1年ほど空き家にしていて庭が荒れているので、知り合いの人に掃除を頼んでいるとグロリアさんが言っていた。
「私はポール、彼女は妻の木乃実です。お名前は?」「アレハンドロだよ」「じゃあ、よろしくお願いします」そう言って私たちは家に戻り、老人はしばらく、庭の落ち葉や枯れ枝などを拾うと帰っていった。けれども、そのあと庭へ出てみると、花壇にはまだ枯れ枝が積んであり、きれいになったとは言いがたかった。
「また、来るのかな?」「そうでしょ。グロリアさん、お金払ったって、言ってたもん」
(けれども、アレハンドロはそれきり、二度とやって来なかった。グロリアさんは、「今度は違う人を雇う」と言っていたけれど、結局、誰もやってこず、私たちが庭をきれいにしたのだった)

アレハンドロが帰ったあと、また、お客さんがやって来た。40代ぐらいの男性と、赤ちゃんを抱いた奥さん、おじいさんの4人が、家族総出でプロパンガスを運んできてくれたのだ。彼らは、挨拶をすると、ニコニコしながら帰っていった。

しばらくすると、今度は犬が吠える声がした。二階へ上がってテラスから見てみると、敷地の中にある花畑に大きな牛が4頭と小さな犬が一匹、牛飼いの少年が一人。牛たちは、巨大な身体で花畑を踏み荒らし、次々に花を食べているではないか!
「前は、村の人が敷地の中に牛やヤギを連れてきて、庭を荒らしていくので困っていたんだけど、村役場の人に話して、私有地の中に入るのは法律違反だと村の人、全員に言ってもらったから大丈夫」
たしかに、グロリアさんはそう言っていたけれども、どうやら彼女が1年間、家を空けているうちに、村の人たちは「そうは言っても、誰もいないからいいんじゃないの?」と牛を連れてくることにしたらしい。
村の人にとっては、私たちが「天国だ!」と喜んで愛でている花畑も、たぶん「放牧するのにちょうどいい場所」なんだろうし、牛にとってはご馳走であることは間違いない。でも、私たちはこの家の前と後ろにある花畑を何よりも大切に思っていたし、何よりもオーナーのグロリアさんが「牛やヤギは敷地の中に入れないで」と言っていたのだから、牛に庭の草花をご馳走するわけにはいかないのだった。
「ここは私有地だから、だめだよ」
ポールは外へ出て、牛飼いの少年にそう言った。牛飼いの少年は、がっかりした様子だったけれど、牛を追って外へ出て行った。そのあと、よく調べてみると、庭の入り口にはりめぐらされていた針金がペンチで切られていることがわかった。この入り口は、玄関から50メートルぐらい先にあり、木々に遮られていて見えない。グロリアさんが留守の間に、誰かが針金を切って、牛やヤギを放牧していたらしく、花畑の3分の1は食べられて、30-40センチくらいの高さの緑豊かな草むらはバリカンで刈られたようになり、周囲の茂みは牛たちになぎ倒されて、枝が大分、折れていた。
「彼らはずっと放牧をして生活を支えてきたから習慣的にそれを続けているだけなんだけど、こうしてみると、長い時間をかけて育ってきた花畑や緑の茂みも、たった4頭の牛が歩いて草を食べるだけで、あっという間に破壊されてしまうんだよね」
ポールはバリカンで刈られたようになってしまった花畑を見て、悲しそうに言った。何百年も前から人間がしてきた家畜の放牧が自然を破壊する原因のひとつになっている、ということは、知識としては知っていたけれども、こうして目の当たりにするとその影響がよくわかった。

前に、私たちのウェアやバックパック、靴などを提供してくれている「THE NORTH FACE」の三浦さんが、「牛丼を一杯作るのに、水が1トン必要だということを知ってから、大好きだった牛肉を食べるのをやめ、今では他の肉も食べないし、乳製品も取らなくなった」と言っていたのを思い出した。牛肉は、一番、効率の悪い食べ物で、牛に食べさせる飼料や水などを計算すると、同じエネルギーで何倍もの穀物が取れるのだそうだ。

ポールも、歩いて旅をしている間は、いろんな方が私たちのために料理を作ってくれたり、ご馳走してくださったりするので、その方たちのご好意に感謝して何でも食べるけれども、自分からは牛肉は食べない。私は、もともとあまりたくさん肉を食べるほうではないのだけれど、以前は、週に一度は焼き肉を食べていたし、ステーキもハンバーグも大好きだった。でも、彼と一緒に歩くようになって、いつの間にか、牛肉は食べなくなってしまった。今回は、自分の庭がどんどん牛に食べられてしまうという状況を経験して、ますます、牛肉を食べるのはやめようと決心し、私も含めて、地球のためには、もっと、もっと、牛肉を食べる人が減ったほうが、バランスがいいのだろうな、と思うのだった。
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by lifewithmc | 2007-02-24 05:36 | メキシコ・山の暮らし
10月4日(木)曇り
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風の音で目が覚めた。ベッドに寝そべったまま、窓の外を見ると、木々が大きく揺れている。空は曇っていた。

昨日、グロリアさんがオアハカに戻ったあと、私たちは早速、台所の掃除に取りかかった。何しろポールはきれい好き。特に、台所が汚いのは我慢できないのである。まず、食器棚をきれいにし、皿やフォークやナイフ、カップなどはすべて消毒した。1年間、誰も住んでいなかったので、あらゆるところにネズミの糞が落ちていた。ネズミの糞はすべて掃き、ガス台もテーブルも椅子もきれいに磨き、最後に夫が床を水洗いした。そのあと、使い心地がいいように、二つ並んでいた棚を、一つは、食器用として冷蔵庫の隣に、もう一つは食料を収納するためにドアの近くにそれぞれ移動し、買い物してきたものを冷蔵庫と棚とに分けて、収納した。その後、「暖炉の前に座って、ゆっくり火を眺められるようにしよう!」とポールが言い、4人がけのソファと1人がけのソファを一つ、暖炉の前に移動し、ダイニングセットは奥へと移した。

掃除が終わると、一番近い店まで歩いて行った。まだ、日差しが強く、少し歩くと汗ばんだ。歩いて20分とグロリアさんは言ったけれど、周りの景色を見ながら、のんびり歩いて行ったので30分かかった。何台もトラックが通り過ぎ、ロバを連れたおじいさんと子供たちと何かを頭に載せて運んでいるおばあさんたちとすれ違った。誰もが私たちを見つけると、手を上げ、笑顔で「ブエノスタルデス!」と言ってくれ、「ブエノスタルデス!」と返事を返すと、とても温かい気持ちになった。「笑顔がいいよね、メキシコの人は。ベリー、ベリー、ナイスピープル!」とポールが言う。たしかに、みんな初めて会う人なのに、ずっと昔から知っている人に会ったときのように、ものすごく嬉しそうに、懐かしそうに笑うのだった。

「人が少ないから、人に会うのが嬉しいのかな」ふと、そう思ってポールに言った。
「ここだと、すれ違う人は、5人か6人だから、みんな、すれ違う人、全部に挨拶するでしょう?でも、東京とかロンドンだと人が多すぎて、会う人みんなに挨拶していたら頭がおかしい人だと思われちゃうよね」
「クロコダイル・ダンディーみたいに?」「そうそう。あの映画の主人公、オーストラリアからニューヨークに来たとき、すれ違う人、みんなに、『グッダイマイト!』って挨拶して、いやがられてたね」
「でも、あっという間に友達を作ってたよ」
「うん。でも、人が多すぎると、人は人じゃなくなって、物みたいに見えてきちゃうんだよ。東京でOLをしていたときは、毎朝、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗って、人ごみを掻き分けて、遅刻しないように会社に行くことが何よりも大事で、誰かの足を踏んでも、うっかり突き飛ばしちゃっても、なんとも思わなくなってたもん」
「不健全だよね」
「そうだね」

本当に、ほんの2年前までは新宿の高層ビルで仕事をしていて、毎朝、遅刻しないで会社に行くことが人生の最優先事項だったなんて、とても信じられない。特に、今年の1月から3月まで、中国・韓国を歩いてからは、都会の人ごみが苦手になったどころか、車や電車やバスに数時間乗っただけで、気分が悪くなるようになった。もともと私は、畑や田んぼで遊び、川で泳ぐ、田舎の子供だった。それが、十代の頃に東京に憧れるようになり、大学へ行くために故郷を出てからはほとんど田舎に帰らなかった。田舎のあの広々とした田んぼの風景や自然の溢れる場所で育ったことを、かけがえのない「宝物」だった、と思うようになったのは、ポールと出会って、自然の中を歩き、自然の中で眠り、自然の声を聞くようになってからなのだから、故郷を出てから20年間近くも自然から遠く離れて、つながりを失っていたことになるのだった。

「東京にいるときは、精神的に不安定だったなあ」
「だろうね。自然からエネルギーをもらうことができないんだから、生きるエネルギーも低くなるよね」
「そうだね」私は言った。「そういえば、中国や韓国を歩いている時ね、体力的にきつかったり、精神的にきつかったりしたとき、どうして歩き続けられたかっていうと、やっぱり自然の力だったよ。ふと見上げると、雄大な山が広がっていたり、思いがけなく近くに鳥が飛んでいたりして、『ああ、美しいなあ』と思った瞬間に力が満ちてきて、また歩き続けることができたの」
「そうか、よかった。君もそれを経験したんだね。自然の美しさが僕らを生かしてくれているんだよ。地球や宇宙の美しさが僕らを生かしてくれているんだ」

気がつくと、私たちは店の前まで歩いて来ていた。店でビールとスプライトとクラッカーを買い、店主のおじさんと奥さんに、「グロリアの家に半年、住むことになったんですよ」とポールが言うと、「それはよかった。いいところでしょ」と奥さんが言い、「ブエナ・ビスタ!(素晴らしい景色です)」と私が言って、みんなで笑った。汗ばみながら、元来た道を30分かけて家に戻った。家の手前で小川を渡ると、まるで魔法のようにあちこちから蝶が舞い上がり、私たちの周りをダンスしながら飛んでいった。

「この小川が、人間界と自然界の境界線みたいだね。この川を渡るときに、身体を清めて、自然界に入る、というわけ」とポールが言い、「じゃあ、こっちは地上の天国だね!」と私が言った。

山の家での2日目は、掃除から始まった。ポールは、玄関前のポーチ。あちこちにちらばった落ち葉を掃き、蜘蛛の巣を取り払い、門のすぐ外に流れている小川から水を汲んできてブラシでゴシゴシと洗った。私は二階の60畳はありそうな、巨大な寝室。ベッドの両側にある本棚を雑巾がけし、一冊ずつ本を取り出して、蜘蛛の巣やネズミの糞をふいた。グロリアさんの本棚には、ディーパック・チョプラ、ダライ・ラマ、ティク・ナット・ハン、ドン・ミゲルなどの本や、「あるヨギの一生」、ヨガの教科書など、私が一度読んだことのある本や読んでみたいと思っていた本がたくさんあった。

「どう?はかどってる?」ポールが下から上がってきた。
「うん。隅から隅まで雑巾がけしてるよ」
「よし!じゃあ、今度はテーブルを下に降ろすのを手伝って」 
ポールのプランは、キッチンで食事ができるように、2階に3つあるテーブルの1つを1階のキッチンに降ろそうというものだった。テーブルは、二人で持ち上げてもかなり重かった。一歩ずつ、慎重に階段を下り、テーブルをキッチンに移した。テーブルは見事に壁際にぴたりと収まった。家具を移動するにつれて、少しずつ、自分たちの家という感じになってきた。早速、移動したばかりのテーブルに座り、ハイビスカスティー、クラッカー、グァバでランチを済ませた。グァバは、水道で洗っただけで、皮もむかずに丸かじりした。果肉は、しっかりとした洋梨のような感じで、口の中に広がるトロピカルな甘い香りと味は、たとえようもなく美味しかった。

ほんの少し休憩して、ポールは引き続き、バスルームの掃除に取り掛かった。バスルームは家の外にある。玄関を出るとポーチがあり、鉄格子で囲まれているのだけれど、ポーチの右側に鉄のドアがあり、その向こうがバスルームになっていた。バスルームには、大きなバスタブ、シャワー、洗面台があり、その奥は、50センチぐらい、一段高くなっていて、そこにトイレの便座とフタが設置されていた。フタを開けると、下はそのまま地面になっている。下水が通っていないので、用を足した跡は大鋸屑や暖炉から出た木灰をまいて、自然分解するシステムなのだ。トイレットペーパーは、くずかごに入れて、後でまとめて燃やす。小さいほうは、ひろーいお庭で!というのが、ここでの暮らしなのだった。

「うーん」最初にトイレのフタを開けたときには、さすがに困った。てっきり、水洗トイレなんだろうと思い込んでいたのだ。30年前、子供の頃は、ボットントイレだったとはいえ、はたまた、中国を歩いたときには、地面に穴を掘っただけのトイレで用を足したとはいえ、半年もここに住むことを考えると、気が滅入った。ところが、驚いたことに、このトイレ、まったく匂いがしないのだった。大鋸屑や木灰が匂いを吸収するということと、土地が乾燥しているということと(半年は雨期、半年は乾期)が、大きな理由なのだと思う。

ともかく、この自然トイレの仕組みは目からうろこが落ちるほど衝撃的なのだった。自分が出したものが、直接、自然に戻って行くのだと思うと、当然、自分の身体に入れるもの(食べるもの、飲むもの)についても考えるようになった。出すものをきれいにするためには、入れるものに気をつけるということ。「野菜、果物、穀物などを食べて、きれいなものをなるべく排泄するように心がけよう!」と誓うのだった。OL時代は、週に一度のカルビ焼き肉御膳ランチが何よりも楽しみだったのだから、これまた、大きな変化なのだった。

さて、では、水はどこから来るのかというと、これは、小川から電動式ポンプでくみ上げて屋根の上に設置されたタンクに自動的にたまるシステムになっていた。小川の上流には大きな工場や大集落、農薬を散布している農場などもないので、川の水は比較的きれい。でも、そのまま飲むわけにはいかないので、必ず、3分以上煮沸してから飲む。お湯は電気湯沸かし器に常時たまっている。でも、大人2人が身体を伸ばしても十分なくらい大きなバスタブにお湯をためるには、湯沸かし器のお湯だけでは足りないので、お風呂に入るときには、晴れた日の夕方、ソーラーの湯沸かし器にたまったお湯と、電気湯沸かし器のお湯を両方使うことになる。メキシコには伝統的にバスタブをおいている家は少ない。4つ星のホテルでもシャワーがほとんど。村ではお湯のシャワーがない家も多い。それを考えると、大きなバスタブにたっぷりお湯をためてお風呂に入れることは、とてつもなく贅沢なことなのだった。

お風呂と台所の排水は、パイプを通って地下にしみこむようになっているようだった。川にそのまま流れていくのではないと知ってほっとしたけれども、地下にしみこむのだって、同じこと。これまた自然に還ることを考えると、排水にも気を遣う。幸い、以前からシャンプー、コンディショナー、石鹸などは100%自然に換えるものを使っているので大丈夫。台所の排水も、そもそも食べ物は残さないので食べ残しは流さないし、油は、オリーブオイルしか使わないし、揚げ物はしない。なので、お湯で洗えば、きれいに落ちる。

ゴミは週に一度。日曜日の朝8時までに村にあるお店まで持っていく。といっても、歩いて30分もかかるので、がぜん、ゴミも減らすことにする。まず、紙ゴミはまとめて燃やす。コーヒー、ハーブティー、紅茶、野菜くずはコンポスト。牛乳パックやプラスチック、燃えないゴミは、ゴミ袋にためておいてまとめてお店へ持っていく。ビン、缶はリサイクル。これもお店へ持っていく。紙ごみ、野菜くずなどを自分たちで処分すると、捨てるゴミはがぜん少なくなる。

買い物をするときにも、スーパーなどではビニール袋をもらわないように、買い物袋を持っていく。野菜を買うときは、青空市場でむきだしのままの泥つき野菜を買うので、サランラップやポリエチレンのトレーなどの包装材はついてこない。スーパーで野菜を買うとしても、むきだしのまま、キロ単位で売っているので、日本のようにポリエチレンのトレーのゴミがたくさん出ることがないので、この点はとてもいいところ。

(買い物するときに、「ゴミが出るような包装がしてあるものを買わない」「個別包装してあるものは、買わない」ということを気をつけるだけで、ゴミは減る。12月末現在までの3ヶ月間に私たちが出したゴミは、プラスチック、燃えないゴミ、瓶、缶、合わせて、20リットル入りのゴミ袋、5つだった)

ガスはプロパン。村から運んできてくれる。タンクの大きさは日本のものと同じ。私たちの場合は、あまり、長時間、煮込んだり、オーブンを使ったりしないので、1タンク、1ヶ月以上もつはず。日本のように、定期的にガスの残量をチェックして、タンクを持ってきてくれるようなサービスはないので、村の人は、空のタンクを車に載せてガス屋さんへ持って行き、満タンのタンクを購入しているようだ。私たちは車を持っていないので、なくなったら、グロリアさんに連絡し、グロリアさんが村にいる友達に連絡し、友達がガス屋さんへ行って、新しいタンクを買ってきてくれるという仕組み。ガスの値段は、1タンク、2400円。メキシコの物価からすると、かなり高価。村の人たちは、料理に蒔を使っている家もまだまだ、多い。

それにしても、東京に住んでいるときには、水がどこから来て、どこへ行くとか、ゴミを減らすとか、そんなこと考えたこともなかった。水も電気もガスも、毎月銀行からお金が引き落とされて、自動的にどこからかやってくる。排水だって、下水料を払えば、誰かがきれいにしてくれる。ゴミは、どんなにたくさん出したって、お金を出してゴミ袋を買えば、いくらでも市が処分してくれる。トイレは水洗。自分が出すものが、なるべくきれいなものになるように、食べ物に気をつけよう、なんて、これっぽっちも考えたことがなかった。考えることといえば、台所洗剤や手が荒れないもの。洗濯機用の洗剤は、漂白効果が高いもの。シャンプー、リンスは髪に潤いを与えて、つやが出るもの・・・・といった具合に、自分に都合のいいものばかりだった。

ところが、ポールが木を植えながら沖縄本島を歩いて一周するというので(もちろん、そのときは、後に彼と結婚することになるとは思いもせず)、私もそれに参加し、ビーチで野宿をしたときに、それまでの考えが、すっかり変わってしまったのだった。

ある日の朝、沖縄の北部のビーチで野宿をしたときに、山から流れてくる水で歯を磨いた。今までずっとしてきたように、歯磨き粉を使って歯を磨き、水で口をゆすぎ、「ぺっ」と歯磨き粉まじりの水を小川に向かって吐いたのだが、そのときに、歯磨き粉の泡が、透き通った小川の水に浮かんで、どこまでも水と交わらず、溶けずに流れていくのを見て、突然、ものすごいショックを受けたのだった。「あ、今、私が吐いた歯磨き粉は、誰かがきれいにしてくれるわけじゃなく、小川の自然の浄化に任せるしかないんだ。もしかしたら、ここより下流の人がこの水を飲むかもしれないんだ」それは、今まで感じたこともない衝撃だった。自分が出したものが、どんなに回りに影響を与えるのかということを、肌で感じたのだった。

東京に住んでいるときには、自分の家の排水溝と海との間には、ものすごい距離があって、自分の家の排水が海に流れるという実感がまるでなかった。自分が出したゴミがどう処理されているのか、なんて、考えたこともなかったし、心のどこかで、「誰かが(お役所?)きれいにしてくれる」という甘えがあった。ところが、ビーチで野宿をしながら、旅をしていると、自分の出す排水はすぐ海に流れる。自分と海が、じかにつながっているということが、ショックだった。それがきっかけで、シャンプーやリンス、石鹸、洗剤などを自然分解しやすいものに全部変えた。台所の排水溝に平気で流していた味噌汁の残り、カレーの残りなどは、排水溝に流さないようになった。都会に住んでいる間は、お金を払っていれば、誰かがきれいにしてくれるかもしれないけれども、自分が生きていることで自然にかけている負担を少しでも減らしたいという気持ちが、生まれて初めて、私の中に生まれてきたのだった。

それまでは、自分が毎日、排出するものが、どれだけ自然に負担をかけているかなんて考えたことは、まったくなかった。「自然」と「自分が排出するもの」との距離が遠すぎるし、毎日の生活が忙しすぎて、考えるチャンスもない。ところが、自然の中で野宿をすると、あっという間にそのことがわかる。考えなくても、自然に気づく。自分と自然との間に、家や、壁や、トイレや、洗濯機や、排水溝や、浄水場が、一切ない。自分の眠っているマットのすぐ下は地面だし、すぐ上は夜空。用を足したら地面に沁み込んで行くし、おおきいほうは、そのままそこに残っていく。まるで、自然の中にお邪魔して、森の中の一角をちょっと拝借したような、申し訳ないような気持ちになって、「汚してごめんなさい」という気持ちになり、自分の何かを排出するたびに、「どうか、あまり自然を汚しませんように」と祈るような気持ちになる。それは、生まれてこのかた、恥ずかしいことに、自然環境のことなど、これっぽっちも考えたことがなく、「自分にとって何がメリットか」ということしか考えなかった私にとっては、ものすごく新しい生き方なのだった。

さて、私は2階の寝室にある本を全部ふき終わり、タンスの引き出しもすべてきれいにふいた。どうやらネズミは2階に住んでいたらしく、本の後ろにトウモロコシや豆などが散らばっており、なんとタンスの一番下の引き出しには、こぶしの大きさぐらいに丸められた脱脂綿があり、真ん中がすっぽりとネズミの身体の大きさぐらいに窪んでいて、どうやらそれが彼のベッドのようなのだった。「ごめんね。悪いけど、今日からこの家は私たちの家だから、あなたはどこかへ引っ越してちょうだいね」と心の中で言いながら、ネズミのベッドもトウモロコシも豆も全部、撤去した。「ネズミにしてみれば、寝耳に水というところだろうけど、しょうがないよね。ネズミは家賃を払ってないもの」ネズミのベッドらしきものを発見したと報告すると、ポールは言った。たしかに。

一通り、掃除が終わると、すでに夕暮れだった。インゲン、ニンジン、ジャガイモ、タマネギなどで簡単な野菜スープを作り、キャベツとキュウリを塩もみにして、ライム、オリーブオイル、コリアンダーのみじん切りであえてサラダにした。

夜は暖炉で薪を燃やした。木の燃えるいい匂いが部屋に広がる。部屋の空気が浄化されたような気持ちになる。
「私たちの家を建てるときには、暖炉で料理もできるようにしよう。火が燃えるときのエネルギーがもったいないから」
「そうだね。オーブンにしてピザも焼けるようにしよう」
「薪が燃える火でゆっくりとスープを煮込んだら美味しいのができるよね」
「そういえば、ここは、夏でもエアコンも扇風機もいらないほど涼しいよね。冬もそれほど寒くならないみたいだし・・・こういう気候のところで暮らすとエネルギーが少なくて済むね」
ゆっくりと燃えていく火を見ながら、いつか私たちの家を作る日のことを話し合った。
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by lifewithmc | 2007-02-24 05:30 | メキシコ・山の暮らし