エッセイスト菊池木乃実のブログです。環境活動家の夫、ポール・コールマンと共に南米チリのパタゴニア地方に在住。ホリスティックで持続可能なライフスタイル実践中


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カテゴリ:中国・徒歩の旅( 32 )

ブログ再開します

中国を歩く旅も終わり、こちらのブログも再開することにしました。

ゴールは8月8日の北京で迎えるはずだったのだけど、それが、予期せぬビザ問題が発生し、北京の140キロ手前で突然、終わりを迎えることに。。。

残念だったし、できれば、北京まで歩きたかったけど、残り4日で140キロ、毎日35キロずつを猛暑の中歩くのは非現実的。

「僕らがしてるのは、レースじゃない。北京に着くのが目的じゃない。これまで、歩いてきて、たくさんの人に会って、環境保護のメッセージを伝えて、木を植えることができたことが目的なんだ。僕らが見たこと、聞いたこと、すべてが大切なんだ」というポールの言葉に、全員、納得し、天津で終了とすることにしたのでした。

いつでも、まっすぐに一本筋が通っていて潔いなあ、ポール・・・と、尊敬。

このことは、「環境保護活動をしていたことがオリンピックの妨げになると当局に判断されたのではないか?」と騒がれ、香港、日本、イギリスの新聞などにもニュースとして、取り上げたれたりもして、ちょっとセンセーショナルだった。

でも、ビザが出なくて、オリンピック前に中国を出てくださいよ、と事実上、言われたにも関わらず、中国を出る前日に、国営ラジオ局に呼ばれて、「グリーン・オリンピック・ウォークどうでしたか?」などど、ポールがインタビューされたりしたので、環境保護活動そのものが原因で、ビザが下りなかったわけでもないのかな・・・と思ったり。

最後のビザを延長しにいった天津の警察も、実に不可思議だった。
警察官の人たちが、「新聞記事、見ましたよ。あなたたちのしていることは、素晴らしい!」と拍手をしてくれたと思ったら、ビザの料金が通常の2倍の320元になっていて、「どういしてですか?」と聞いたら、しばらく奥へ引っ込んで、なかなか出てこなかった。で、出てきたと思ったら、「あ、まちがいでした。160元」と言い、ビザを出してくれたんだけど、外へ出てから、パスポートを確認してみたら、8月6日までしか出ていなかった。

警察に戻りたくても、金曜日の午後4時過ぎ。警察はもう閉まっていたし、申請したときに、「8日に北京に歩いてゴールするから、14日ぐらいまでビザが取れるのなら、お願いしたい」と言ってお願いしていたのだから、全くわけがわからなかった。

ともかく、最後の3週間は、歩いていると警察に何度も止められ、オリンピックだからという理由でパスポートを見せてくださいと言われたり、ポールは、一度切れたビザが「オリンピックで担当者がいない」という理由で延長してもらえず、ビザなしで3日間もホテルに滞在しなければいけなくなったり、山東省の北部から河北省にかけては、とにかく、信じられないくらい公害がひどくて、1時間歩いただけで、頭痛がしてしまうほどだったし、(化学工場からの有毒な排気、強烈な農薬散布、真っ黒なコールタールを流したような川が何キロも続いて、汚臭を放っているなど)自分たちの健康状態も心配なくたいだったから、最後に天津で突然、ストップ!になったときも、ものすごく残念な反面、「あ、これでもう、歩かなくてもいいんだ」というほっとした気持ちだったことも事実だった。

中国に半年住んでいるローレンが、一緒に歩いたときに、「中国は、1日いたら1冊本が書ける、1週間いたら、数本、原稿が書ける。でも、1年いたら、混沌としすぎていて何も書けない」と言っていたけど、本当に、何がなんだか、よくわけがわからないチャイナ。

人は明るく、親切だけれども、環境のことは、全然、何も知らされていない。
彼らも、自らを危険にさらして生きていることを知らない。
農薬をまいているのに、誰もマスクをしていない。
汚臭を放つ川で魚を釣って、食べている人がいる。

もちろん、自然が残っているところもあった。
でも、透明な川を見たのは、330日のうち2日だけ。

こんな状態で暮らしていたら、きっと、そのうちみんな、得体の知れない病気になるのではないかしら。

そんな人を見ていると、時々、自分が未来からやってきたエイリアンになったような気がした。
「こんなことをしていたら、将来、身体を壊しますよ」
「このままだったら、地球はとことん汚れて、資源も尽きて、人間は生きられなくなっちゃいますよ」

そうやって、未来から警鐘を鳴らしているような。

でも、そんな未来からの警鐘は、ほとんど無視されちゃうんだよね。
映画とか、物語では。
そして、気がついたときには、すでに崩壊は始まっている。

そんな中で、立ち上がるヒーローがいる。
映画だと、ヒーローが世界を救う。

じゃあ、今の世の中、誰がヒーローなの?
誰がリーダーなの?

ポールがそれにこう答えた。

僕ら、一人一人が、リーダーだ。
僕ら、一人一人が、ヒーローだ。

僕ら、一人一人が、変えて行くんだって。

そうだ。そうだよ。
そのために、私たちは、3140キロ、自分の足で歩いたんだった。

また、新しい物語が始まるね。
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by lifewithmc | 2008-08-12 00:15 | 中国・徒歩の旅

旅の様子はYahooブログで

私たちの中国徒歩の旅も8ヶ月が過ぎ、北京まであと1000キロぐらいのところまで来ました。順調に行く先々で木を植えることもでき、南京でも南京大虐殺の犠牲者が埋められているという場所で木を植えることができました。

そして、昨日、私たちは、4ヶ月ぶりに香港に来ました。

ポールが、「Shining World Protection Award」という賞を受賞したので、その授賞式のために戻って来たのです。由緒ある英国の機関、Royal Geographic Societyの香港支部でも、講演をすることになりました。

香港にいる間は、またまた、忙しくなりそうです。

さて、中国ではネットの速度が遅いので、しばらくは、このブログの更新はお休みします。

Yahooのオフィシャル・ブログには、頻繁に更新していますので、私たちの中国の旅の日記は、Yahoo オフィシャルブログで見てくださいね。
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by lifewithmc | 2008-06-06 17:07 | 中国・徒歩の旅

奇跡は育つ

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この2週間、私たちは香港へ行っていました。ビザが切れたので、もう一度、取得するために香港のランタオ島へ戻っていたのです。ランタオ島は、私たちが9月に初めて香港を訪れた時に滞在したところ。9月21日の世界平和の日に小学生たちとジャングルに木を植えたところでもあります。

ジャングルで木を植えました 動画
http://jp.youtube.com/watch?v=ssmUCWASQ1w

ランタオ島のムイオウという町に、友達もたくさんできたので、そこに滞在することにしました。

香港では、ビザの申請をするほかは、何も予定はありませんでした。ところが、一週間、ゆっくり休んで、リラックスし、滞在予定も残り1週間となったので、さて、ビザを申請に行こうかと思い始めたころ、いろいろなことが動き始めました。

まず、月曜日、環境保護活動とビジネスをリンクする仕事をしているメリンさんの家に行き、写真やビデオを交えて中国での旅の話をしました。

すると、火曜日、ビザの申請へ言った日に、メリンさんと香港ヒューマニスト協会のトニーさん、ラマ島で環境とスピリチュアルに関するサイトを運営しているピーターさんの3人が中心になって、講演会を2つ企画してくれることに。その週の土曜日には、もう中国へ戻るので、木曜日の夜にランタオ島で一つ、金曜日の夜に香港島のセントラルで一つということになり、メリンさん、トニーさん、ピーターさんが知り合いにメールで案内を出してくれることになりました。

水曜日、ランタオ・グリーン・アソシエーションのクライブさんとランチを食べながら旅の報告をし、午後、メリンさんと講演会の打ち合わせをしている時に、香港のラジオ局からメリンさんの携帯に連絡が入りました。「ポール!昨日、ラジオ局にメールを送っておいたんだけど、今、ディレクターから電話があって、明日、インタビューしたいそうだよ!」ブラボー!

木曜日、ポールは、お昼にラジオという番組の生放送インタビューに主演、2つの講演会のお知らせをラジオですることができました。その日の夜、ランタオ島でのスピーチには15人ほどの人が集まってくれました。とても、アットホームなトークの後、熱心に聴いてくれていた女性がこう言いました。「ポール、地球のためにありがとう。私たちは、どうやってあなたのミッションを助けてあげればいいですか?」ポールは、こう答えました。「まず、私たちのメッセージをできるだけたくさんの人に広めてください。どんな方法でも、あなたができる方法で」すると、ホームページをスペイン語に訳してくれると申し出てくれるという女性がおり、また、たくさんの人が寄付をしてくれました。最後に質問をしてくれた女性は、こう言いました。「私の名前はキンジーと言います。私は、香港で16年、PR関係の仕事をしていて、メディアの人たちを知っているのでヘルプできると思うの。明日の朝、朝食をご馳走したいので、カフェで会いませんか?」

金曜日、キンジーさんとフェリー乗り場の近くにあるカフェで朝食を食べていると、キンジーさんの携帯が鳴り、電話の後、彼女が興奮してこう言いました。「私、昨日の夜、家に帰ってから、手当たり次第、私の持っているメディアリストの人たちに連絡したの。そしたら、今日の夜のスピーチに、明報の記者が来てくれるって!!明報というのは、香港で最大の広東語の新聞なのよ」ブラボー!!

その日の夜、香港島でのスピーチは、有機野菜を使ったベジタリアン料理で有名なライフカフェで行われました。スピーチには、50人ほど来ていただいたでしょうか。レストランの席は満員になり、立って話を聞く人もあり、ポールが旅を始めた経緯からアフリカで象に追いかけられた話までバラエティーに富むトーク。終わりに、ある女性がこう言いました。「ポール、私は北京オリンピック委員会の委員です。ぜひ、連絡取り合いましょう」

興奮冷めやらぬまま、私たちはビザを取りに旅行代理店へ行き、ライフカフェのオーナーのボブシーさんがディナーをご馳走してくれるというので、カフェに戻りました。すると、思いがけない伝言を受け取りました。「ポール、さっきの女性、北京オリンピック委員会で文化事業ディレクターをしているので、明日、朝食を一緒にどうですかと携帯番号を残して行ったよ」

土曜日、香港を発つ日の朝、私たちはランタオ島のレストランで、北京オリンピック委員会の文化事業ディレクター、フューシャス教授と朝ごはんを食べながら、これからのサポートの可能性について、話をしていました。フューシャス教授は、ホリスティック医学のドクターであり、北京オリンピックの文化イベントの企画から運営、人選まで全てを任されている文化事業ディレクターでもあったのです。フューシャス教授をスピーチに誘ったのは、私たちの友達、ヴォニーでした。ヴォニーはフューシャス教授と長年の知り合いで、フューシャスが北京オリンピックとつながりがあるとは夢にも思わずに、「ちょうど、香港にいるんだから、ポールのスピーチに来たら?」と彼女を誘ってくれたのでした。

フューシャス教授とのミーティングの後、今度はトニーから連絡がありました。「9月に木を植えたときのドキュメンタリーが出来上がったから、試写に行こう」と。そうでした。9月にランタオ島で木を植えたとき、地元でドキュメンタリー映画を作っているファン姉妹が撮影に来てくれていたのでした。その時の映像がちょうど編集を終えたところなので、見に行こうということになったのです。

2時間後、私たちはファン姉妹の家の試写室で、できたてのほやほやの映画を見ていました。ドキュメンタリーは、ジャングルのような森に驚くファン姉妹の映像で始まりました。「香港にもこんなところがあったんだね~。驚いた~!」そして、植樹に集まってくれた地元の人たち、子供たち、木を提供してくれた人たち、そして、木を植えたポール。なんとも心温まるイベントの後、最後は、彼女達が住んでいる家の近くにある、たくさんの大きな木の映像で終わりました。

ところで、タイトルは何ていうの?とトニーが聞くと、「Miracle Grows!」と、ファン姉妹の妹が言いました。「ドキュメンタリーのタイトルを何にしようかと考えていたら、ある日の朝、ピンと来たの」 Miracle Grows !! 奇跡は育つ!!

その日の朝の新聞(明報)には、「人物」の一面に、1ページ、フルサイズで地球に木を植えるポールの記事が載りました。

たくさんの友人、たくさんの愛に溢れる人たち。彼らに別れを告げるのを少し悲しく思いながら、飛行機は香港を発ち、間もなく、武夷山空港に到着しました。すると、同じ飛行機に乗っていた中国人のカップルが、新聞を持って、私たちに近づいてきました。「ポールさんですよね?私たちの地球のために、ありがとうございます。とても感謝しています。よろしかったら、サインをもらえますか?」

私たちの中国の旅の後半は、こうして、とても嬉しい出来事と共にスタートしたのでした。
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by lifewithmc | 2008-02-18 18:52 | 中国・徒歩の旅
アースウォーカー、ポール・コールマンが地球のために歩き始めたのは、1990年のこと。

しかし、お金は1か月分しかなく、歩くのは好きではなく、最初は不安で一杯だった!

今では18年間も歩いているポールですが、歩き始めた頃の気持ちが綴られています。

2006年に中国を歩いていた時の映像から作ったビデオです。
http://jp.youtube.com/watch?v=Oaqbh48FPhE

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by lifewithmc | 2008-02-17 22:00 | 中国・徒歩の旅
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「私たちの人生は、かけがえのない贈り物」

「与えれば、与えるほど、私たちは受け取るようになる」

ポールからの最新メッセージ・ビデオの日本語版ができました

「4万5000キロ 地球のために」

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by lifewithmc | 2008-02-11 00:59 | 中国・徒歩の旅
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建陽(ジャンヤン)市を出発した次の日、職業技術学院の英語課の1年生、アンジェラが1日だけ徒歩に参加してくれました。アンジェラは、その日、私たちが向かっていた町の出身で、ちょうど、その日、旧正月のために実家に帰ることになっていたのです。そこで、町まで16キロの道のりを一緒に歩きました。

アンジェラは、私たちが歩く速度が速いのに驚いていましたが、なんとか、4時間の道のりを楽しく歩いて、町に到着。その町にはホテルがないことがわかったので、次の町まであと8キロ歩くことにして、アンジェラと別れました。

私たちは、夜7時頃、次の町に到着し、ホテルを見つけ、夕飯を食べて、就寝。アンジェラからは、「とても楽しかった、ありがとう。でも、とても疲れたので、もうベッドに入っています。武夷山まで気をつけて行って下さい」というメッセージが携帯に入りました。

アンジェラの故郷は、少し前までは川から水が飲めたそうです。でも、今では上流に養鶏場ができて、水が飲めなくなってしまったと言っていました。自然の中で育った彼女だから、私たちのことを応援してくれる気持ちになったのでしょう。とても、心温まる出会いでした。

翌日、いよいよ、私たちは武夷山を目指して歩きました。武夷山は世界文化・自然遺産に指定されている場所。私たちも香港を出発した時から楽しみにしていましたし、リチャード、ジョイ、デビッドにとっては、旅の終点でもあります。その日は、朝から冷たい雨が土砂降りでしたが、みな、ずぶ濡れになりながらも、21キロの道のりを歩きました。

私たちが歩いている、ほんの少し北の地方では、100年に一度の大雪が降って、道路も凍結し、何万戸という家が停電、また、家が崩壊して人が亡くなったり、転電の修復をしていた職員が亡くなったり、旧正月で実家に帰る人たちが何百万人と各地で足止めを食らったりと、大惨事が起きていました。でも、幸いなことに、私たちは大雨に降られる程度で済んでいました。

とはいえ、何時間も歩くと次第に雨がレインギアの下に染みてきて、足もずぶ濡れ、手もかじかんで、寒さで凍えそうになります。食堂が見つからなかったので、皆、空腹のままだったので、何度か、雨宿りができる場所を見つけては休憩し、小さなお店で火鉢の火に当たらせてもらったりして、歩き続けました。

目的地まで、あと5キロというところで、福州から応援に来てくれたジーン先生の車に出会い、牛乳やお菓子やパンなどの差し入れをもらいました。ああ、そのパンの美味しかったこと!「もう、あと少しだから。ホテルもたくさんあるから、頑張ってね」というジーン先生の言葉に励まされました。

武夷山の入り口、武夷宮という街に近づくと、世界遺産となった素晴らしい渓谷が見えてきました。曲がりくねる川のあちこちに、いくつもの大きな岩山が天に向かって反り立ち、雨に煙っている様子は、まるで仙人が住んでいるかのように幻想的でした。

みな、無事に笑顔で武夷宮に到着し、ほっと一息。ホテルに直行して、熱いお風呂に入り、凍えた身体を解凍させて、夜のディナーへ向かいました。武夷山市の広報局長さんが歓迎ディナーにご招待してくださったのです。そして、「明日は、世界遺産に木を植えましょう!」と言ってくださったのでした。

これは、全く予想していなかったことなので、私たちもみな驚きました。ポールも私も、武夷山には、もう、到着できただけで満足だと思っていたのです。9月22日に香港を出てから、約4ヶ月、1360キロ歩きました。その4ヶ月に起こったことを、いろいろと思い出し、ポールと二人きりで歩いている時に、

「歩き続けていれば、必ず何かが起こる。助けれくれる人が出てくる。だから、大丈夫」

「今まで、いつもそうだった。長い距離を歩いて初めて、人は僕達が真剣なんだということを理解してくれるようになるんだ」

「『これから、どこへ行くのか』ではなく、『今まで、どこを歩いてきたのか』と聞かれるようになったら、その時から、何かが起こり始めるんだ」

と、ポールが言い続けていたことも思い出しました。

本当にポールが言った通りでした。年末から参加してくれた祐次くん、年明けから参加してくれた楊さん、フューチャー(江来)、リチャード(余江)、ジョイ(楊琴)、デビッド(江鵬)、福州で新聞社やテレビの取材を取り付けてくれたグレースや、この2週間、何かと助けてくれた福州師範大学のジーン先生たちのおかげで、こうして世界遺産の地に木を植えられたことを、本当にありがたく思いました。

今日、雨に濡れながら歩いた私たちのビデオの日本語版を作りました。ぜひ、見てくださいね。

地球を緑化し、世界をより良い場所にしよう!!
「ずぶ濡れのヒーローたち」




★「グリーン・オリンピック・ウォーク」では、皆様からの寄付を募集しています。
この旅を続けることができますよう、皆様からのご支援、よろしくお願いします。

【送金先】
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三鷹支店 普通 1480908
山根木乃実 
(フリガナ:ヤマネコノミ)

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木を植える男の旅の記録
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by lifewithmc | 2008-02-11 00:55 | 中国・徒歩の旅
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南平を出てから、数日後に冷たい雨が降り始め、2日間、土砂降りの中を歩いて建陽(ジャンヤン)市に着きました。到着したのは、夜の9時半。みんなずぶ濡れで凍りそうになりながら、ホテルにチェックインし、即効で熱いお風呂に入って身体を解凍!濡れたカッパも靴も全部、床や椅子の上に並べて乾かしました。

翌日は、ジーン先生の紹介で、お友達の黄先生が学長を勤めている閩北職業技術学院へ行きました。ちょうど中国の旧正月の休暇の直前だったので、生徒さんはほとんどが実家へ戻ってしまっていたのですが、先生達がまだ残っていらしたので、先生達にポールがお話をすることになりました。

集まってくださった学院の先生たちは、約40人。中には、実家に戻るのを遅らせて、講演に来てくださった生徒さん達もいました。ポールがなぜ、歩いているのか、なぜ、木を植えているのか、今、地球はどんな状況にあるのか、そして、私たち一人一人に何ができるのか」というお話をしました。先生達も生徒さんたちも、たくさんの質問を投げかけてくれ、とても興味深く話を聞いてくださいました。

講演の最後に黄学長さんはこう言ってくれました。
「とても素晴らしいお話をありがとうございました。この地球は、私たちすべての人類が守っていかなければいけない大切な場所。私たちも、学校と教師のネットワークを通して、環境保護活動の大切さを何千人という生徒達に伝えていきます。そうして、地球を守るために貢献したいと思います」

そうして、その日は、先生達と学生さん達とで、校庭に大きな木を植えました。

翌日は、先生たちの寮にご招待していただき、手作りの料理をご馳走になりました。そこには、講演会に来ていた葉先生と高校3年生の娘さんが来ていました。

葉先生は、「講演会の後、本当に感動して、娘にポールの話をしたら、ぜひ、お会いしたいと言ったので連れてきました」「昨夜、早速、ホームページも見ました。美しい写真がたくさんありましたけど、あまり美しくない写真もありましたね。(ゴミの写真や公害の写真など)でも、私たちに環境をきれいにすること、守ることの大切さを思い出させてくれて、本当にありがとうございます。感謝しています」と言ってくれました。

また、葉先生の娘さんは、「大きな都市はきれいになってきているけれど、少し郊外へ行くとゴミを捨てる人がたくさんいます。そういう人に環境保護について知ってもらうようにするには、どうしたらいいのですか?」とポールに質問。「私たちは他の人にこうしなさいと行いを強制することはできないけれども、自分がやってみて、自分がお手本になることなら簡単にできるのですよ。スーパーでレジ袋を断る、ゴミのポイ捨てはしない、という小さなことから始めて、もっとやってみたくなったら、街をきれいにするボランティアをしてみる、川の水をきれいにする活動を始めてみるなど、できることはたくさんあるのです」と答えていました。

学校の先生や生徒さんと話をしていると、環境への関心はとても高いと感じます。葉先生の娘さんが、最後にこう言っていたのが印象に残りました。
「中国の環境は今は決してきれいだとは言えませんが、数年後にはもっときれいになると思います」

そして、ポールはこう答えました。
「私もそれを強く望んでいます。中国では、変化が起こるときには、物凄い速さで起こる。まさに今も、物凄いスピードで社会全体が変化していますね。中国は、世界全体にとって、今後、とても大きな役割を果たして行くと思います。中国が真の意味で持続可能な発展の方向へ進めば、世界全体が利益を得るのです。

たとえば、今、世界で使用されている電球の70%は中国製ですが、その全てを今後10年間ですべて省エネ電球に換えるプロジェクトが進んでいます。ということは、世界全体で使う電球が省エネ電球になるということです。今、中国だけでなく、世界全体が環境保護に基づいた社会へと素早く変わる必要があるのです」


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by lifewithmc | 2008-02-02 16:23 | 中国・徒歩の旅
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南平では、ゆっくり休む予定でした。植樹も取材も、何も予定されていなかったからです。到着した日の夜は、福建師範大学のジーン先生と再会し、自然食のレストランで美味しい山の幸をいただき、ゆっくり休みました。

ところが翌日、ジーン先生と大学生達が地元の孤児院を訪問した時に居合わせた新聞記者さんが、福州の大学生たちが環境保護のために歩いていることを知り、興味を持って、ポールにインタビューしたいとホテルまで来てくれました。そこで、ポールが歩いている目的など説明した後、南平へ来る途中、川が真っ黒になっていたことなどを話し、「人々の健康のためにも川をきれいにすることは重要。環境保護活動は、政府や企業、団体だけでなく、一人一人の市民の理解と参加が必要不可欠。個人にできることは、たくさんある」と言うと、新聞記者さんは深く頷き、取材を終えて帰って行きました。

すると、30分後、同じ記者さんからジーン先生へ電話がありました。「木を手に入れたので、今、トラックを手配しています。30分後に植樹場所で会いましょう!」と言うのです。これには、皆、驚きました。思いがけないプレゼントです。

30分後、私たちが着いたのは、江濱公園という川沿いにある美しい公園でした。公園には、たくさんの人が集っています。すぐにテレビ局もやって来て、皆で美しい花が咲いたお茶の木を植えました。

翌日、私たちは大横という町へ向かって歩きました。そこでは、大横町の副町長さんが私たちを待っていてくれ、夕食に招待してくれました。副町長さんは、環境問題にとても関心を寄せていて、「大横町では、工業団地を作り、企業を誘致しているのですが、ある医薬品工場が毒性のある物質を含んだ排水を川に流す可能性があるというので、その工場の建設は断りました。大横町は、ミン川の上流にあたるので、ここから福州に至るまでの全ての人々の飲料水を確保するために、川をきれいに保つことが必要だと判断したのです」と話してくれました。また、「汚れた川をきれいにすることはできるんですか?」と余江が質問すると、ポールは「私が子供の頃、マンチェスターの川は汚れていて、落ちると病院へ行かないといけなかったのだけれど、今ではとてもきれいになっているよ。だから、川をきれいにすることはできるんだよ」と答えました。

この日は、6日間、約130キロを一緒に歩いた江来と楊さんの最後の日でもありました。
「歩いてどうでしたか?」という問いに、江来はこう答えました。
「環境について、いろいろ学びました。歩く前は、どこへでもゴミを捨てていたけれど、もう二度とそんなことはしないと約束します!」

ジーン先生は、このコメントを聞いて、しみじみとポールに言ったそうです。
「あなたが環境保護のために歩いていると聞いた時には、正直言って、歩くだけで何が変わるんだろうと思ったのよ。でも、今夜、初めてわかったわ。あなたは、こうして一人ずつ人の心を変えていくのね」と。

写真1&2 南平での植樹
写真3    余江、初めてのテレビ取材
写真4    右端が江来

オフィシャルサイト
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木を植える男の旅の記録
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by lifewithmc | 2008-01-28 21:40 | 中国・徒歩の旅
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南平まで、私たちは閩江(ミンジャン)という大きな河沿いに歩きました。最初の2日間は、閩江の北側の細い山道を歩き、後半の2日間は南側の国道316号線に沿って歩きました。北側の山道を歩いている時は、空気も良く、食堂で飲むお茶も美味しい水を使っているように感じました。

ところが、橋を渡って、南側の国道沿いの町へ来ると、食堂で出されたお茶がインクのような味がするようになり、舌が乾く感じがして、かなり強く消毒されているのがわかりました。空気も、途端に悪くなりました。車の排気ガスが多いということもあるのですが、歩いていると、ずっと糞の匂いがするのです。どうしてだろうと思っていると、ある地点で、驚く光景を見ました。

ふと、道路20メートルほど下を流れている川を覗き込むと、川がインクを流したように、真っ黒に濁っていたのです。川は、どろどろと粘性を帯び、泡を吹きながら、閩江に流れ込んでおり、自然の浄化作用の許容性をとうに超えた量の汚物を抱え込んで、窒息しているように見えました。

この川のすぐ下流は飲料水用の貯水池です。その貯水池を経て、閩江へと流れ込み、もっと大きな貯水池へと流れ、その先は福州へ、海へと流れて行きます。福州の人たちも、もちろん、浄水処理はされているでしょうが、この川の水を飲んでいることになるのです。私たちは、みな、ショックで立ち止まりました。

楊さんが、「ひどい汚染だ。写真を撮って新聞社に持っていったらどうだろう」と言い、ポールは川の様子をビデオに撮影し、「テレビ局の報道ホットラインに電話をしようか」「一体、何が原因でこんなことになっているんだろう」と皆で話しながら、さらに上流へと歩きました。すると、揚厝村という村に入った時に、さらにショッキングな光景を目撃することになりました。

路肩を流れる小さな小川に、仔豚の死体が何十体と捨てられていたのです。仔豚はビニール袋に入れられているもの、そのまま捨てられているもの、最近、捨てられたらしきもの、ずっと以前に捨てられて腐って骨が見えているものなど、約300メートルにわたって、点々と50から60の死体が捨てられていました。そして、川は血の色に汚濁し、血の塊が面々と川底に沈殿していました。さらに上流へ行くと、大きな養豚場があり、養豚場の汚水がすべて川にそのまま流され、さらにトサツ場からも、汚水が川に流れていました。

そこで、すべてがつながりました。国道316号線沿いを歩いている時に、道の両側にたくさんの養豚場があることには気づいていました。30キロくらいに渡って、何十軒もの養豚場があり、何千頭もの豚が飼われているのです。国道沿いをトラックが檻にぎゅうぎゅう積めにした豚を運んでいく光景も何度も見ました。山の中を歩いている時に、「ギャー、ギャー」という豚たちの激しい悲鳴が聞こえてきたこともありました。トサツ場の前を通ったら、「ギャア」という悲鳴と共に血と肉の匂いがしてきました。

そして、無造作に川に捨てられている仔豚を見、川に沈殿している血を見、真っ黒に淀んでいる川を見たら、何とも言えない気持ちになりました。もちろん、全ての養豚場がこのような状況だと言う訳ではないと思います。少なくても、そうではないと祈りたいです。でも、私たちが見た光景は確かに現実にそこで起こっていたことであり、余江も江来も楊琴も、とてもショックだったのでしょう。もしかしたら、私たちよりショックだったかもしれません。急に無口になり、ただ、ただ、黙々と歩き続けました。

そして、その日の夕方から、私たちは誰も、肉を食べなくなりました。

中国では90%以上の汚水が処理されずに川に流されているそうです。3億人以上の人が飲料水にアクセスできないとも聞きました。現実にその様子を見るまでは、それが現実に起こっている様子を想像できませんでしたが、4ヶ月、中国を歩いてみて、それは本当のことだと分かりました。トイレからの排泄物が、そのままコンクリートの溝へ流れていくのを見て、果て、それはどこへ行くのだろうとトイレの裏へ回ってみたら、裏はすぐ、大きな川になっており、そのまま川へ流れて行くのを見て驚いたことがありました。ジュースの工場から、まっ黄色な水が川へ流れて行くのも見ました。

4ヶ月歩いて、一度も、水が澄んだ川を見たことがありません。豚の死体が何頭も捨てられているそばで、鴨を養殖している人たちがいて、電気ショックで魚を取っている人がいました。どの川も、例外なく、ゴミが捨てられ、汚水が流され、工場廃水も、生活廃水も、すべてが川へ流れ、海へ流れて行きます。その川で、泳いでいる人がいます。魚を採って、売っている人がいて、それを買って食べている人がいます。「公害ゼロのイチゴ」と宣伝していたイチゴ畑の向かい側は、ラッカーを使って工芸品を作っている工場で、煙突からは黒煙が出ており、空気はひどい匂いがしました。その少し先の野菜畑を流れている水路は、真っ黒でした。

ゴミが流れている川から水を汲んで、畑に撒いている人も見ました。その野菜はいずれ出荷されて、たくさんの人の食卓に並ぶのでしょう。農薬も頻繁に撒かれているのを見ました。私たちが中国で食べている野菜は、多かれ少なかれ汚染されていると思います。正直言って、そんな中で、希望を持ち続けることが難しいときもあります。

それでも、私たちの希望は、やはり「人」です。人が環境を汚しているのですから、人が環境をきれいにすることもできるはずです。私たちが出会った中国の人は、人懐こくて、明るくて、オープンで、冗談が好きで、親切で、いい人ばかりです。でも、もしかしたら、その人たちも知らず知らずのうちに、環境汚染に加担してしまっているのかもしれないのです。だからこそ、もっともっと、人と出会い、人の間に入り込み、川をきれいに、空気をきれいに、ゴミをきれいにと呼びかけて行きたいと思います。話せば、みな、よくわかってくれるのです。生きるためには、地球を汚さず、環境を破壊しないように私たちの生活の仕方そのものを変えることが必要なのだと。

★「捨てられた仔豚と黒く濁った川」の映像はこちらのリンクから見ることもできます。但し、お子様には適しませんのでご了承ください。
http://www.earthwalker.com/deadpigs_640.wmv
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by lifewithmc | 2008-01-27 22:38 | 中国・徒歩の旅
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南平に着くまで、私たちは、とても小さな村を通って歩きました。楊さんは私たちの記事が載った新聞記事を持っていて、食堂でも、宿泊した場所でも、どこでも私たちの活動を広めてくれ、ある日などは、夜遅く、泊まる場所が見つからないので、道路沿いに1軒ぽつりと立っていた小さな食堂へ入って行き、食堂のオーナーに話をして、家族が使っていない部屋を私たちに貸してもらえるように交渉してくれました。

食堂のオーナー家族はとてもいい人たちで、一人10元(約150円)で泊まらせてくれることになり、私たちは、居心地のいいダブルベッドのある部屋を貸してもらえました。その日は、もっと嬉しかったことがありました。食堂に居合わせた電気会社の社長さんが、私たちの活動のことを知り、宿泊代と朝食代を全員分、払ってくれたのです。社長さんは、「あなたたちの活動に深く感動しました。以前、日本人は戦争のために中国にやって来たけれども、今は平和の時代です。日中友好を祈って、活動を支援します。」と言ってくれました。こんな時は、本当に心から歩いていてよかったと思います。毎日、黙々と歩いている時にはわからないけれども、こうした、ふとした触れ合いの中に大きな報酬を見つけたような気持ちになって、ああ、歩いていてよかったと本当に思うのです。食堂の家族が、お父さんもお母さんも娘さんも、私たちが日本人と知ると、テーブルをぐるりと取り囲み、「へえ、日本人って、中国人と同じ顔してるんだね。黄色いんだね~」と嬉しそうに言っているのを見て、しみじみと胸が熱くなりました。

翌日も、日が暮れてから小さな部落に着き、そこには、食堂も宿泊所もないので、小さな商店へ楊さんと江来が入っていき、事情を説明すると、快く、商店の家族が増築したばかりの2階のフロアを私たちのために空けてくれました。2階は、キッチン、リビングルームと3つのベッドルームがあり、できたてのホヤホヤ。私たちはお父さんとお母さんのベッドルームを借り、楊琴が多分、娘さんの部屋、祐次さんが息子さんの部屋、楊さんと余江、江来は、リビングルームのソファーで眠りました。そのときも、商店に集まってきた部落の人たちが、「日本人なの?中国人と同じ顔してるんだね~」と言ったのが、とても印象に残りました。一体、ご家族は、この日の夜、どこで眠ったのでしょう?翌日は、お母さんが朝ごはんを用意してくれ、「頑張ってね!」と送り出してくれました。

写真上 ミンチンから南平まで歩いたメンバー(右から、楊琴、余江、祐次、江来、楊さん、ポール、木乃実)
写真中 食堂の家族(前列右から3人)と宿泊費を払ってくれた電気会社の社長さん(後列右端)
写真下 部屋を貸してくれた商店のお母さん(右端)
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by lifewithmc | 2008-01-27 12:07 | 中国・徒歩の旅