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エッセイスト菊池木乃実のブログです。環境活動家の夫、ポール・コールマンと共に南米チリのパタゴニア地方に在住。ホリスティックで持続可能なライフスタイル実践中


by lifewithmc
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気持ちよく死ぬ、気持ちよく生きる 

今日は、生き方のことについて書いてみたいと思います。
といっても、あくまで、これは私個人の経験から感じたことなので、「へえ、そんな考え方もあるんだ」という感じで読んでいただければと思います。

3年前、前世療法を受けたことがあります。東京の武蔵小金井にある「金のうさぎ セラピールーム」というところで、明るくチャーミングでめちゃめちゃ面白い「うさぎ先生」こと中野由紀子さんにセラピーを受けました。

その時におぼろげに見た私の前世は、若い男の子でした。いつの時代なのか、誰なのか、さっぱりわかりませんでしたが、衝撃的だったのは、彼(私)の人生を辿った後、「では、死の場面へ言ってください」と言われた時でした。私は、家の中にいて、落ちてくる屋根の下敷きになって死んで行きました。死ぬ瞬間は、苦しくはなく、ほっとした気持ちになったのを覚えています。

死んだ後は、真っ白な、とてつもなく明るい光の中へ行きました。そこで、白い光を放つ人たちに会い(人の形をしているのですが、はっきりと顔は見えませんでした)、ものすごい愛情に包まれて、私は号泣していました。そのときの私の人生は、後悔だらけでした。利己的で愛情が薄い人間だったため、人と深く関わるのが嫌いで、森の中に引きこもって暮らしていたのです。自分を育ててくれ、愛してくれた祖父に対しても、怒りと憎しみを持っており、そのときの人生では、祖父を許すことはできませんでした。

「どうして、もっと、人と関わり合わなかったのか。傷ついても、人を愛し、愛され、許し、許されて生きなかったのか」自分を責め、胸が焼け付くほど痛みました。すると、白い光のような人たちが、こう言いました。「いいんだよ。あなたは、そうして学ぶ必要があったんだ。みんな、わかっているよ。大丈夫だよ」あまりの優しい言葉に、また、私は号泣していました。意識の半分は、その場面にいて、あとの半分は、客観的に自分を観察しているので、「うわあ、ものすごい勢いで泣いているなあ。いやあ、胸が苦しいなあ」と思いながら・・・

そのあと、白い光の人たちから、温かいメッセージをたくさん、もらいました。
でも、私の人生を大きく変えたのは、その時に、気づいた一つのことでした。

それは、死んだ後に問われるのは、その時の人生でどのような業績をなして、どのような仕事をしたかではない。地位や収入は、一切、問われない。問われるのは、私にとって、それは、どんな人生だったか、心から幸せだったか、満足だったか、人を愛したり、人に愛されたり、人を許したり、許されたりしながら、愛情深く生きたかということなんだ。

また、人生で関わった人たちがどんな人生を送り、私がしたことによってどんな影響を受けたかということも、一切、問われない。なぜなら、私が人生で関わった人たちが、どんな人生を生きて、何を感じていたか、私がしたことによって、どんな感情を抱き、どんな行動を取ったかは、彼ら自身の選択であり、彼ら自身の責任ですることだからだ。人を傷つけたりしたとき、あるいは、誰かが、私は傷ついたと言ったとき、問われるのは、私は最良の方法で対応しただろうか、愛と優しい心でその人の傷を癒そうと努力しただろうか、ということであって、もし、最良の方法で最善を尽くしたなら、その人が傷つき続けても、それは、その人の選択であって、自分の責任の範囲ではない。そして、それら、すべてを厳しく問いかけるのは、神様でも、他の人たちでもなく、「自分自身なんだ」ということでした。

それは、とても、大きな衝撃でした。結局、死んだ後に、審判を下すのは、私自身であり、神様や天使や他の誰かが、「あなたの人生はよかった、あるいは、悪かった」と診断したりはしないのです。死んだ後の世界(魂の世界)にいる人たちは、ただ、ただ、私を受け入れ、愛し、許し、「大丈夫。それでいいんだよ」と言ってくれました。私が、激しく号泣しながら、自分がしてしまったことを後悔し、厳しく責め立て、苦しんでいる間、「過ちを犯すのは、悪いことではない。大切なのは、過ちを犯したことに気づいて後悔し、次の人生では、二度と同じ過ちを犯さないようにし、前の人生でした過ちを修正することなんだ。そうやって、より良い人間になっていけばいいんだよ」と言ってくれていました。

結局、自分がしたことをもう一度、客観的に見て、後悔し、苦しむのは、自分自身なのでした。それは、私たちには、良心というものがあるからであり、私たちの魂は、もともと、善の心、愛の心でできているからなのだと思います。自分の良心が、自分がしたことを振り返って、「なんということをしてきたんだろう」と苦しむのは、火で焼かれるような思いです。まさに、それは、自分自身で作った地獄の苦しみだと言えます。

その日、セラピールームのソファーで、前世から戻ってきた私は、こう決心していました。

「今回の人生では、死ぬときに苦しい思いをしないように生きよう。許せない人があれば、進んで許し、謝っていない人があれば、進んで謝り、感謝していない人があれば、今すぐ感謝しておこう。そうして、いつでも、最善を尽くし、澄み切った心でいるようにしておこう。そうしておけば、たとえ、他の人が怒り続けていたとしても、私を憎み続けていたとしても、私は気持ちよく死ぬことができる」

私たちは、いつ生まれるかということを知らずに生まれてきたように、いつ死ぬかということを知らずに今日を生きています。もしかしたら、今日、喧嘩をして、苦い思いを残したまま別れた恋人や友達や家族が、明日は、この世にいないかもしれないし、もしかしたら、私自身が、明日は、この世にいないかもしれません。

今日という日が、いつも最後の日なのです。
今という瞬間が、いつも最後の瞬間なのです。

ダライ・ラマ聖下が、テレビのインタビューでこう言っていました。
「スピリチュアルな人間になるために、特定の宗教を信じる必要はありません。スピリチュアルになるとは、昨日よりは今日、今日よりは明日、さらに良い人間になるということなのです」

神様のようなものは存在すると私は思います。でも、私の経験では、神様とは、「人間の形をしていて、人間を罰したり、許したりする」ような存在ではないようです。神様とは、私たちの心の中にある良心のような存在であり、善良な心、無条件ですべての命を愛する気持ちそのもののような気がします。だから、私にとって、神様は、「いる」というより、「在る」という感じです。空にも山にも川にも海にも森にも、あらゆるところにそれは在るように感じます。もちろん、都会にも、それは在りますが、都会や人間の多いところでは、その存在を感じることはとても難しいような気がします。太陽は輝いているのに、厚い雲の下では雨が降っていて、太陽の存在を感じることができないようなものです。

逆に、自然の中では、その存在をとても強く感じます。たった一人で荒野に立つと、巨大なその存在感に圧倒されます。広大な砂漠にたった一人で立つと、こんなにも太陽の光は強かったのかと畏敬の念に打たれるのと同じようなものです。

でも、私が、昨日よりも今日、良い人間になれるように生きている(=気持ちよく死ねるように生きている)のは、神様がそこに在るからではありません。私が、「今回の人生では、良い人間になって死ぬぞ」と決めたのは、もう二度と、同じことを繰り返したくはないからです。生きている間も、死んだ後も、自分を責め、罰するのは、自分自身だけです。生きている間、「私は十分ではない」と自分を責め、罰し続けるというのも苦しい人生ですが、死んだ後、人生を振り返り、「もう、取り返しがつかない!」と自責の念に胸を焼かれるのは、それ以上に苦しく、悲しい経験でした。

今では、「たとえ、どんな人生を生きたとしても、私たちは、その瞬間、その瞬間、精一杯生きている」のだ、ということもわかるようになりました。私たちは、誰でも、その瞬間、一番いいと思える方法で生きているのです。ですから、自分を責めたり、許せなかったり、あるいは、他人を責めたり、許せなかったりということがあっても、いいのです。その後で、気がついて、許したり、謝ったりすればいいのです。許したり、謝ったりするのは、早ければ、早いほどいいということは、おそらく、誰でも知っていると思います。苦い思いをするのは、短ければ、短いほうが気持ち良いですから・・・

私が、魂の世界で会った人たちは、みな、「いいんだよ。それで、いいんだよ」と言ってくれました。それが、神の心、愛の心なんじゃないか、と今では思います。私たちがどんな人生を生きたとしても、温かく見守ってくれ、許し、受け入れてくれる存在。それが、多分、「神様というようなもの」なんじゃないか。そして、私たちが、自分自身のことも、他の人のことも、温かく見守って、許し、受け入れることができるようになったときに、私たちは、「神様のようなもの」に限りなく近づいていくんじゃないか、とも思うのです。

だから、今は、地球を助けるために毎日を生きていることが、私にとっての幸せです。
死ぬときには、心から「いい人生だった。地球のために全力で仕事をして、満足な人生だった」と言えるからです。
by lifewithmc | 2007-06-19 08:56 | チリ・パタゴニアの暮らし