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エッセイスト菊池木乃実のブログです。環境活動家の夫、ポール・コールマンと共に南米チリのパタゴニア地方に在住。ホリスティックで持続可能なライフスタイル実践中


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山でのサスティナブルな暮らし

10月4日(木)曇り
山でのサスティナブルな暮らし_d0107620_5211265.jpg

風の音で目が覚めた。ベッドに寝そべったまま、窓の外を見ると、木々が大きく揺れている。空は曇っていた。

昨日、グロリアさんがオアハカに戻ったあと、私たちは早速、台所の掃除に取りかかった。何しろポールはきれい好き。特に、台所が汚いのは我慢できないのである。まず、食器棚をきれいにし、皿やフォークやナイフ、カップなどはすべて消毒した。1年間、誰も住んでいなかったので、あらゆるところにネズミの糞が落ちていた。ネズミの糞はすべて掃き、ガス台もテーブルも椅子もきれいに磨き、最後に夫が床を水洗いした。そのあと、使い心地がいいように、二つ並んでいた棚を、一つは、食器用として冷蔵庫の隣に、もう一つは食料を収納するためにドアの近くにそれぞれ移動し、買い物してきたものを冷蔵庫と棚とに分けて、収納した。その後、「暖炉の前に座って、ゆっくり火を眺められるようにしよう!」とポールが言い、4人がけのソファと1人がけのソファを一つ、暖炉の前に移動し、ダイニングセットは奥へと移した。

掃除が終わると、一番近い店まで歩いて行った。まだ、日差しが強く、少し歩くと汗ばんだ。歩いて20分とグロリアさんは言ったけれど、周りの景色を見ながら、のんびり歩いて行ったので30分かかった。何台もトラックが通り過ぎ、ロバを連れたおじいさんと子供たちと何かを頭に載せて運んでいるおばあさんたちとすれ違った。誰もが私たちを見つけると、手を上げ、笑顔で「ブエノスタルデス!」と言ってくれ、「ブエノスタルデス!」と返事を返すと、とても温かい気持ちになった。「笑顔がいいよね、メキシコの人は。ベリー、ベリー、ナイスピープル!」とポールが言う。たしかに、みんな初めて会う人なのに、ずっと昔から知っている人に会ったときのように、ものすごく嬉しそうに、懐かしそうに笑うのだった。

「人が少ないから、人に会うのが嬉しいのかな」ふと、そう思ってポールに言った。
「ここだと、すれ違う人は、5人か6人だから、みんな、すれ違う人、全部に挨拶するでしょう?でも、東京とかロンドンだと人が多すぎて、会う人みんなに挨拶していたら頭がおかしい人だと思われちゃうよね」
「クロコダイル・ダンディーみたいに?」「そうそう。あの映画の主人公、オーストラリアからニューヨークに来たとき、すれ違う人、みんなに、『グッダイマイト!』って挨拶して、いやがられてたね」
「でも、あっという間に友達を作ってたよ」
「うん。でも、人が多すぎると、人は人じゃなくなって、物みたいに見えてきちゃうんだよ。東京でOLをしていたときは、毎朝、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗って、人ごみを掻き分けて、遅刻しないように会社に行くことが何よりも大事で、誰かの足を踏んでも、うっかり突き飛ばしちゃっても、なんとも思わなくなってたもん」
「不健全だよね」
「そうだね」

本当に、ほんの2年前までは新宿の高層ビルで仕事をしていて、毎朝、遅刻しないで会社に行くことが人生の最優先事項だったなんて、とても信じられない。特に、今年の1月から3月まで、中国・韓国を歩いてからは、都会の人ごみが苦手になったどころか、車や電車やバスに数時間乗っただけで、気分が悪くなるようになった。もともと私は、畑や田んぼで遊び、川で泳ぐ、田舎の子供だった。それが、十代の頃に東京に憧れるようになり、大学へ行くために故郷を出てからはほとんど田舎に帰らなかった。田舎のあの広々とした田んぼの風景や自然の溢れる場所で育ったことを、かけがえのない「宝物」だった、と思うようになったのは、ポールと出会って、自然の中を歩き、自然の中で眠り、自然の声を聞くようになってからなのだから、故郷を出てから20年間近くも自然から遠く離れて、つながりを失っていたことになるのだった。

「東京にいるときは、精神的に不安定だったなあ」
「だろうね。自然からエネルギーをもらうことができないんだから、生きるエネルギーも低くなるよね」
「そうだね」私は言った。「そういえば、中国や韓国を歩いている時ね、体力的にきつかったり、精神的にきつかったりしたとき、どうして歩き続けられたかっていうと、やっぱり自然の力だったよ。ふと見上げると、雄大な山が広がっていたり、思いがけなく近くに鳥が飛んでいたりして、『ああ、美しいなあ』と思った瞬間に力が満ちてきて、また歩き続けることができたの」
「そうか、よかった。君もそれを経験したんだね。自然の美しさが僕らを生かしてくれているんだよ。地球や宇宙の美しさが僕らを生かしてくれているんだ」

気がつくと、私たちは店の前まで歩いて来ていた。店でビールとスプライトとクラッカーを買い、店主のおじさんと奥さんに、「グロリアの家に半年、住むことになったんですよ」とポールが言うと、「それはよかった。いいところでしょ」と奥さんが言い、「ブエナ・ビスタ!(素晴らしい景色です)」と私が言って、みんなで笑った。汗ばみながら、元来た道を30分かけて家に戻った。家の手前で小川を渡ると、まるで魔法のようにあちこちから蝶が舞い上がり、私たちの周りをダンスしながら飛んでいった。

「この小川が、人間界と自然界の境界線みたいだね。この川を渡るときに、身体を清めて、自然界に入る、というわけ」とポールが言い、「じゃあ、こっちは地上の天国だね!」と私が言った。

山の家での2日目は、掃除から始まった。ポールは、玄関前のポーチ。あちこちにちらばった落ち葉を掃き、蜘蛛の巣を取り払い、門のすぐ外に流れている小川から水を汲んできてブラシでゴシゴシと洗った。私は二階の60畳はありそうな、巨大な寝室。ベッドの両側にある本棚を雑巾がけし、一冊ずつ本を取り出して、蜘蛛の巣やネズミの糞をふいた。グロリアさんの本棚には、ディーパック・チョプラ、ダライ・ラマ、ティク・ナット・ハン、ドン・ミゲルなどの本や、「あるヨギの一生」、ヨガの教科書など、私が一度読んだことのある本や読んでみたいと思っていた本がたくさんあった。

「どう?はかどってる?」ポールが下から上がってきた。
「うん。隅から隅まで雑巾がけしてるよ」
「よし!じゃあ、今度はテーブルを下に降ろすのを手伝って」 
ポールのプランは、キッチンで食事ができるように、2階に3つあるテーブルの1つを1階のキッチンに降ろそうというものだった。テーブルは、二人で持ち上げてもかなり重かった。一歩ずつ、慎重に階段を下り、テーブルをキッチンに移した。テーブルは見事に壁際にぴたりと収まった。家具を移動するにつれて、少しずつ、自分たちの家という感じになってきた。早速、移動したばかりのテーブルに座り、ハイビスカスティー、クラッカー、グァバでランチを済ませた。グァバは、水道で洗っただけで、皮もむかずに丸かじりした。果肉は、しっかりとした洋梨のような感じで、口の中に広がるトロピカルな甘い香りと味は、たとえようもなく美味しかった。

ほんの少し休憩して、ポールは引き続き、バスルームの掃除に取り掛かった。バスルームは家の外にある。玄関を出るとポーチがあり、鉄格子で囲まれているのだけれど、ポーチの右側に鉄のドアがあり、その向こうがバスルームになっていた。バスルームには、大きなバスタブ、シャワー、洗面台があり、その奥は、50センチぐらい、一段高くなっていて、そこにトイレの便座とフタが設置されていた。フタを開けると、下はそのまま地面になっている。下水が通っていないので、用を足した跡は大鋸屑や暖炉から出た木灰をまいて、自然分解するシステムなのだ。トイレットペーパーは、くずかごに入れて、後でまとめて燃やす。小さいほうは、ひろーいお庭で!というのが、ここでの暮らしなのだった。

「うーん」最初にトイレのフタを開けたときには、さすがに困った。てっきり、水洗トイレなんだろうと思い込んでいたのだ。30年前、子供の頃は、ボットントイレだったとはいえ、はたまた、中国を歩いたときには、地面に穴を掘っただけのトイレで用を足したとはいえ、半年もここに住むことを考えると、気が滅入った。ところが、驚いたことに、このトイレ、まったく匂いがしないのだった。大鋸屑や木灰が匂いを吸収するということと、土地が乾燥しているということと(半年は雨期、半年は乾期)が、大きな理由なのだと思う。

ともかく、この自然トイレの仕組みは目からうろこが落ちるほど衝撃的なのだった。自分が出したものが、直接、自然に戻って行くのだと思うと、当然、自分の身体に入れるもの(食べるもの、飲むもの)についても考えるようになった。出すものをきれいにするためには、入れるものに気をつけるということ。「野菜、果物、穀物などを食べて、きれいなものをなるべく排泄するように心がけよう!」と誓うのだった。OL時代は、週に一度のカルビ焼き肉御膳ランチが何よりも楽しみだったのだから、これまた、大きな変化なのだった。

さて、では、水はどこから来るのかというと、これは、小川から電動式ポンプでくみ上げて屋根の上に設置されたタンクに自動的にたまるシステムになっていた。小川の上流には大きな工場や大集落、農薬を散布している農場などもないので、川の水は比較的きれい。でも、そのまま飲むわけにはいかないので、必ず、3分以上煮沸してから飲む。お湯は電気湯沸かし器に常時たまっている。でも、大人2人が身体を伸ばしても十分なくらい大きなバスタブにお湯をためるには、湯沸かし器のお湯だけでは足りないので、お風呂に入るときには、晴れた日の夕方、ソーラーの湯沸かし器にたまったお湯と、電気湯沸かし器のお湯を両方使うことになる。メキシコには伝統的にバスタブをおいている家は少ない。4つ星のホテルでもシャワーがほとんど。村ではお湯のシャワーがない家も多い。それを考えると、大きなバスタブにたっぷりお湯をためてお風呂に入れることは、とてつもなく贅沢なことなのだった。

お風呂と台所の排水は、パイプを通って地下にしみこむようになっているようだった。川にそのまま流れていくのではないと知ってほっとしたけれども、地下にしみこむのだって、同じこと。これまた自然に還ることを考えると、排水にも気を遣う。幸い、以前からシャンプー、コンディショナー、石鹸などは100%自然に換えるものを使っているので大丈夫。台所の排水も、そもそも食べ物は残さないので食べ残しは流さないし、油は、オリーブオイルしか使わないし、揚げ物はしない。なので、お湯で洗えば、きれいに落ちる。

ゴミは週に一度。日曜日の朝8時までに村にあるお店まで持っていく。といっても、歩いて30分もかかるので、がぜん、ゴミも減らすことにする。まず、紙ゴミはまとめて燃やす。コーヒー、ハーブティー、紅茶、野菜くずはコンポスト。牛乳パックやプラスチック、燃えないゴミは、ゴミ袋にためておいてまとめてお店へ持っていく。ビン、缶はリサイクル。これもお店へ持っていく。紙ごみ、野菜くずなどを自分たちで処分すると、捨てるゴミはがぜん少なくなる。

買い物をするときにも、スーパーなどではビニール袋をもらわないように、買い物袋を持っていく。野菜を買うときは、青空市場でむきだしのままの泥つき野菜を買うので、サランラップやポリエチレンのトレーなどの包装材はついてこない。スーパーで野菜を買うとしても、むきだしのまま、キロ単位で売っているので、日本のようにポリエチレンのトレーのゴミがたくさん出ることがないので、この点はとてもいいところ。

(買い物するときに、「ゴミが出るような包装がしてあるものを買わない」「個別包装してあるものは、買わない」ということを気をつけるだけで、ゴミは減る。12月末現在までの3ヶ月間に私たちが出したゴミは、プラスチック、燃えないゴミ、瓶、缶、合わせて、20リットル入りのゴミ袋、5つだった)

ガスはプロパン。村から運んできてくれる。タンクの大きさは日本のものと同じ。私たちの場合は、あまり、長時間、煮込んだり、オーブンを使ったりしないので、1タンク、1ヶ月以上もつはず。日本のように、定期的にガスの残量をチェックして、タンクを持ってきてくれるようなサービスはないので、村の人は、空のタンクを車に載せてガス屋さんへ持って行き、満タンのタンクを購入しているようだ。私たちは車を持っていないので、なくなったら、グロリアさんに連絡し、グロリアさんが村にいる友達に連絡し、友達がガス屋さんへ行って、新しいタンクを買ってきてくれるという仕組み。ガスの値段は、1タンク、2400円。メキシコの物価からすると、かなり高価。村の人たちは、料理に蒔を使っている家もまだまだ、多い。

それにしても、東京に住んでいるときには、水がどこから来て、どこへ行くとか、ゴミを減らすとか、そんなこと考えたこともなかった。水も電気もガスも、毎月銀行からお金が引き落とされて、自動的にどこからかやってくる。排水だって、下水料を払えば、誰かがきれいにしてくれる。ゴミは、どんなにたくさん出したって、お金を出してゴミ袋を買えば、いくらでも市が処分してくれる。トイレは水洗。自分が出すものが、なるべくきれいなものになるように、食べ物に気をつけよう、なんて、これっぽっちも考えたことがなかった。考えることといえば、台所洗剤や手が荒れないもの。洗濯機用の洗剤は、漂白効果が高いもの。シャンプー、リンスは髪に潤いを与えて、つやが出るもの・・・・といった具合に、自分に都合のいいものばかりだった。

ところが、ポールが木を植えながら沖縄本島を歩いて一周するというので(もちろん、そのときは、後に彼と結婚することになるとは思いもせず)、私もそれに参加し、ビーチで野宿をしたときに、それまでの考えが、すっかり変わってしまったのだった。

ある日の朝、沖縄の北部のビーチで野宿をしたときに、山から流れてくる水で歯を磨いた。今までずっとしてきたように、歯磨き粉を使って歯を磨き、水で口をゆすぎ、「ぺっ」と歯磨き粉まじりの水を小川に向かって吐いたのだが、そのときに、歯磨き粉の泡が、透き通った小川の水に浮かんで、どこまでも水と交わらず、溶けずに流れていくのを見て、突然、ものすごいショックを受けたのだった。「あ、今、私が吐いた歯磨き粉は、誰かがきれいにしてくれるわけじゃなく、小川の自然の浄化に任せるしかないんだ。もしかしたら、ここより下流の人がこの水を飲むかもしれないんだ」それは、今まで感じたこともない衝撃だった。自分が出したものが、どんなに回りに影響を与えるのかということを、肌で感じたのだった。

東京に住んでいるときには、自分の家の排水溝と海との間には、ものすごい距離があって、自分の家の排水が海に流れるという実感がまるでなかった。自分が出したゴミがどう処理されているのか、なんて、考えたこともなかったし、心のどこかで、「誰かが(お役所?)きれいにしてくれる」という甘えがあった。ところが、ビーチで野宿をしながら、旅をしていると、自分の出す排水はすぐ海に流れる。自分と海が、じかにつながっているということが、ショックだった。それがきっかけで、シャンプーやリンス、石鹸、洗剤などを自然分解しやすいものに全部変えた。台所の排水溝に平気で流していた味噌汁の残り、カレーの残りなどは、排水溝に流さないようになった。都会に住んでいる間は、お金を払っていれば、誰かがきれいにしてくれるかもしれないけれども、自分が生きていることで自然にかけている負担を少しでも減らしたいという気持ちが、生まれて初めて、私の中に生まれてきたのだった。

それまでは、自分が毎日、排出するものが、どれだけ自然に負担をかけているかなんて考えたことは、まったくなかった。「自然」と「自分が排出するもの」との距離が遠すぎるし、毎日の生活が忙しすぎて、考えるチャンスもない。ところが、自然の中で野宿をすると、あっという間にそのことがわかる。考えなくても、自然に気づく。自分と自然との間に、家や、壁や、トイレや、洗濯機や、排水溝や、浄水場が、一切ない。自分の眠っているマットのすぐ下は地面だし、すぐ上は夜空。用を足したら地面に沁み込んで行くし、おおきいほうは、そのままそこに残っていく。まるで、自然の中にお邪魔して、森の中の一角をちょっと拝借したような、申し訳ないような気持ちになって、「汚してごめんなさい」という気持ちになり、自分の何かを排出するたびに、「どうか、あまり自然を汚しませんように」と祈るような気持ちになる。それは、生まれてこのかた、恥ずかしいことに、自然環境のことなど、これっぽっちも考えたことがなく、「自分にとって何がメリットか」ということしか考えなかった私にとっては、ものすごく新しい生き方なのだった。

さて、私は2階の寝室にある本を全部ふき終わり、タンスの引き出しもすべてきれいにふいた。どうやらネズミは2階に住んでいたらしく、本の後ろにトウモロコシや豆などが散らばっており、なんとタンスの一番下の引き出しには、こぶしの大きさぐらいに丸められた脱脂綿があり、真ん中がすっぽりとネズミの身体の大きさぐらいに窪んでいて、どうやらそれが彼のベッドのようなのだった。「ごめんね。悪いけど、今日からこの家は私たちの家だから、あなたはどこかへ引っ越してちょうだいね」と心の中で言いながら、ネズミのベッドもトウモロコシも豆も全部、撤去した。「ネズミにしてみれば、寝耳に水というところだろうけど、しょうがないよね。ネズミは家賃を払ってないもの」ネズミのベッドらしきものを発見したと報告すると、ポールは言った。たしかに。

一通り、掃除が終わると、すでに夕暮れだった。インゲン、ニンジン、ジャガイモ、タマネギなどで簡単な野菜スープを作り、キャベツとキュウリを塩もみにして、ライム、オリーブオイル、コリアンダーのみじん切りであえてサラダにした。

夜は暖炉で薪を燃やした。木の燃えるいい匂いが部屋に広がる。部屋の空気が浄化されたような気持ちになる。
「私たちの家を建てるときには、暖炉で料理もできるようにしよう。火が燃えるときのエネルギーがもったいないから」
「そうだね。オーブンにしてピザも焼けるようにしよう」
「薪が燃える火でゆっくりとスープを煮込んだら美味しいのができるよね」
「そういえば、ここは、夏でもエアコンも扇風機もいらないほど涼しいよね。冬もそれほど寒くならないみたいだし・・・こういう気候のところで暮らすとエネルギーが少なくて済むね」
ゆっくりと燃えていく火を見ながら、いつか私たちの家を作る日のことを話し合った。
by lifewithmc | 2007-02-24 05:30 | メキシコ・山の暮らし